岸 五百旗頭先生は1974年に、科研費「戦後日本の国際環境」に関する海外学術調査で渡米されました。折しも1972年にアメリカで外交文書公開30年ルールの運用が始まったところで、史料を丹念に調査するなかで「日本分割占領案」という大きな発見をする。帰国後それがややセンセーショナルに報道されたことで、五百旗頭先生の名前は日本の学界で一気に知れ渡ります。
それから実に11年をかけて書き上げたのが大作『米国の日本占領政策──戦後日本の設計図』(上下巻、中央公論社、1985)で、サントリー学芸賞を受賞しますね。
細谷千博先生は受賞理由として、「近年にないスケールの外交史研究である」ことに加え、「史料に足をすえながらも、登場人物を躍動させる」ことによる「読み物としての面白さ」、そして「文章力」を挙げています。
蒲島 五百旗頭先生はかつて私に、「学者になると決めたとき、自分にしか書けない本を3つ書きたいと思った」と語っていました。
そのうちの1冊がこれ、もう1冊が、吉野作造賞を受賞した『占領期──首相たちの新日本』(読売新聞社、1997)とのことでした。五百旗頭先生の占領史研究の白眉です。そして、『アステイオン』で連載していた「平成史」を3冊目と考えていたようですが、それを世に送り出す前に五百旗頭さんは旅立ってしまった。
御厨 占領史について言うと、彼の占領史がその後、法学部系の政治外交史をやっている人に受け入れられたのには理由がありました。そのときまでの占領史研究は暗かったんです。占領史研究会というものがあって、日本を民主化したアメリカを一応は褒めるんだけれど、アメリカによって民主化が進んだ日本は情けないという気持ちがあるものだから、なんとなくじめじめと暗かった。
ところが五百旗頭さんは、いま岸さんから紹介があったように、「史料のあるところに行く」という感じでバッとアメリカに行って、集めた一次史料から「アメリカって結構ちゃんと日本のことを見ていたよね」と、そこから始めているから肯定的。歴史観も同様に割と楽観主義です。
國分 確かにそうですね。
御厨 あるとき彼が、北岡伸一、猪木武徳と僕の三人を呼び、「明治から今に至る日本の歴史教材を映像で作る。ついては、あなたたち3人とやりたい」と言うのです。有無を言わせぬ勢いでした。今なら当たり前ですが、映像の教材なんて当時は全くなかった。
『現代日本の形成過程』という全52巻の映像教材を一緒に作り、94~95年に丸善から出しました。こうして僕らは割と早い時期から、東京にいながら関西の五百旗頭さんとつき合うことになりましたが、実は、当時の東大法学部では五百旗頭さんの名前は出せなかった。[蒲島氏に]あなたが97年に東大に来る前はそうだったのよ。
蒲島 ああ、そう。
御厨 学者じゃないとみなされていました。僕は、周囲から「なんで五百旗頭さんと一緒にこんなものを作っているんですか」と言われましたよ。北岡先生もおそらく大変だったと思う。
國分 五百旗頭先生が保守反動と言われた時期もありましたからね。
御厨 東大法学部の、よそ者は絶対に入れないというある種の潔癖主義が、「のれんに腕押し」の五百旗頭さんの学を嫌ったんですね。今はずいぶん変わりましたが、このことはちょっと言っておきたいと思います。
岸 御厨さん、北岡さんという良い友人を持ったということですね。