アステイオン

座談会

五百旗頭真先生との出会いと友情、そして学問を振り返る...「自分にしか書けない本を3つ書きたい」

2025年03月06日(木)10時50分
蒲島郁夫+國分良成+御厨 貴+岸 俊光(構成:置塩 文)
書庫

Peter Gudella-shutterstock


<2024年3月に急逝された五百旗頭真先生の業績と思い出を振り返る。『アステイオン』101号より「五百旗頭真先生が遺したもの」を3回に分けて転載。本編は第1回目>


2024年3月6日に逝去された五百旗頭真先生は、政治外交史を専門とする神戸大学教授として、さらに東日本大震災復興構想会議議長、防衛大学校長、熊本県立大学と兵庫県立大学の理事長、宮内庁参与などとして、学問の世界にとどまらず、社会的にも広く活躍された。

長年親交があった蒲島郁夫氏(前熊本県知事)、國分良成氏(前防衛大学校長、アジア調査会会長)、御厨貴氏(東京大学名誉教授)とともに、五百旗頭先生の仕事を振り返る。司会は岸俊光氏(アジア調査会事務局長)。

◇ ◇ ◇

出会い

 五百旗頭真先生との出会いはどのようなものだったでしょうか。

蒲島 私が出会ったのはハーバード大学の大学院生のときです。新進気鋭の客員研究員が日本から来るという触れ込みで現れたのが五百旗頭先生でした。

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当時は広島大学助教授。米国の日本占領政策という研究分野がエドウィン・ライシャワー先生と重なっていたこともあったのでしょう。若い研究者には滅多にないことですが、ご自身のセミナーをハーバードで開講するなど特別に大切にされている印象でした。

私は、農協職員から派米農業研修生、ネブラスカ大学農学部、そしてハーバード大学大学院博士課程(政治経済学)と少々ユニークな道を歩んできていまして、出会ったとき、お互いにフレッシュさを感じていたような気がします。

すぐに仲良くなり、私は五百旗頭さんの日本政治のセミナーによく参加しました。あれから50年。誰からも好かれ、あれほどの学問的素養のある方が日本に存在したことを誇りに思うとともに、そういう方と長きにわたってつき合うことができて幸福に思っています。

御厨 五百旗頭さんが広島大学から神戸大学に移られた頃、東京都立大学にいた僕は東京大学法学部研究室によく通っていまして、そこの書庫で偶然お会いしました。1980年代初め頃です。

書庫に入っていくと、やはり何かを探しに来ていた五百旗頭さんがいた。東大の人ではない人が書庫にいると思ってじろじろ見ていたら、向こうのほうから「やあ」と言ったんですよ。社交的ですね。

國分 目に浮かびますね。

御厨 「どこかでお会いしましたか」と言ったら、「いや、初めてお会いしたけど、声を掛けたくなった」と。そういうところがうまいんです。

その後、日本政治学会の事務局を都立大学から神戸大学に移すとき、事務局幹事は、こちらが私、神戸大学が五百旗頭さんで、それがちょっと問題になりました。なぜ僕の後の事務局幹事が、僕よりはるか年長の、学会理事になってもいいような五百旗頭さんなのかということです。

彼に聞いてみたら、「いやあ、関西には関東と違って難しいところがあるから、私がこの地位にいたほうがいいんだ」というお返事。始まりはそんな感じでした。

國分 五百旗頭先生とは、1990年代から日本国際政治学会でよくお会いしました。といっても、占領期の研究でスターダムにのし上がってこられ、華々しく活躍される様子を見ていたという感じです。

94年の日米関係民間会議「下田会議」のときだったか、宿の露天風呂で偶然2人だけになったんです。五百旗頭先生が「國分さんはどういうバックグラウンド?」と素性を聞いてきて、そのままのぼせるまで話し込んだ。その頃から長いおつき合いが始まりました。育てていただいたという気持ちで感謝しています。

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