コラム

これからの蚊対策は「殺さず吸わせず」 痒いところに手が届く、蚊にまつわる最新研究3選

2024年07月12日(金)18時50分

今後は、実際に蚊が刺しても吸血量を減らすために、蚊にFPA受容体作動薬を投与したり、砂糖水や花の蜜の中にFPAを作る腸内細菌を入れて投与したりといった手法も検討していると言います。

これまでの蚊媒介感染症対策は、蚊帳や長袖長ズボンの着用で蚊との物理的な接触を減らしたり、殺虫剤や虫よけで蚊をヒトに近づけないようにしたり、致死遺伝子を導入した遺伝子組換え蚊を環境放出して蚊の数そのものを減らしたりといった、蚊に刺される機会を避けることに重きを置いたものでした。本研究を応用すれば、たとえ病原体を持つ蚊と接触しても感染の可能性を低下させることができるかもしれない点が、画期的と言えるでしょう。


3.かつてはオスも吸血していた?

「産卵前のメスのみが吸血する」ことは現代の蚊の常識ですが、23年12月、生物学系科学誌「Current Biology」に、かつてはオスの蚊も吸血していた可能性を示唆する論文が掲載されました。

中国の地質古生物学研究所およびレバノン大に所属するダニー・アザール氏らは、レバノンで見つかった白亜紀前期のものと見られる琥珀の中に、蚊が閉じ込められていることを発見しました。これまでの最古の蚊の化石は、白亜紀中期のものでした。今回発見された蚊は、それよりも約3000万年前に生息していたものと見られます。

最古を更新しただけでも大発見なのですが、琥珀中にいた蚊は状態の良いオス2匹で、いずれも口の構造が「動物を刺して吸血できる形」をしていました。つまり、進化初期の蚊は、オスも血を吸っていた可能性が高いということです。

吸血昆虫の口の進化史は、これまでに見つかっている化石の記録が完全にはつながっていないため、未だに分からないことが多い分野です。たとえば、オスもメスも吸血するノミは、花の蜜を吸う昆虫から吸血できるように進化した種である可能性が高いとされています。一方、蚊のオスの口は、吸血もできるメスの口が退化して植物の液を吸いやすく特化したものだと考える研究者が多いです。とはいえ、いずれにしても今までは証拠がありませんでした。

研究チームは「古代に吸血できるオスの蚊が存在した可能性から、吸血の進化史はこれまで考えられていたよりも複雑な可能性がある」と語り、「産卵をしないオスがなぜ吸血行動をとっていたのか、進化の過程で吸血できる口器がなぜ存在しなくなったのかについて、今後さらに研究を進めたい」と語っています。

ここまでの話を読んで「やっかいものの蚊なんて、全滅すればいい」と思う方も多いかもしれませんが、蚊の幼虫のボウフラは生息場所の水中の有機物やバクテリアを食べて水質改善に役立っています。吸血しない蚊の成虫は、植物の受粉を手伝うこともあります。

全世界にいる蚊の数は、「約100兆匹だ」とか「いや京のオーダーに及ぶ」などと見積もられています。ヒトに悪影響がない方法で全滅させることは、ほぼ不可能でしょう。ならば、蚊の習性を知り、防御を固めて上手く付き合うことが大切ですね。

ニューズウィーク日本版 世界も「老害」戦争
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年11月25日号(11月18日発売)は「世界も『老害』戦争」特集。アメリカやヨーロッパでも若者が高齢者の「犠牲」に

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

COP30が閉幕、災害対策資金3倍に 脱化石燃料に

ワールド

G20首脳会議が開幕、米国抜きで首脳宣言採択 トラ

ワールド

アングル:富の世襲続くイタリア、低い相続税が「特権

ワールド

アングル:石炭依存の東南アジア、長期電力購入契約が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 2
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 5
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 6
    「裸同然」と批判も...レギンス注意でジム退館処分、…
  • 7
    Spotifyからも削除...「今年の一曲」と大絶賛の楽曲…
  • 8
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 9
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story