コラム

これからの蚊対策は「殺さず吸わせず」 痒いところに手が届く、蚊にまつわる最新研究3選

2024年07月12日(金)18時50分

蚊は、普段はオスもメスも花の蜜や草の汁を吸って栄養としています。例外で、交尾後のメスのみが卵を育てるためのエネルギー源として吸血します。このメス蚊は、吸血時に麻酔や血の凝固を防ぐ効果のある物質を含む唾液をヒトに注入します。唾液は痒みの原因となり、刺した蚊がウイルスや原虫等の病原体を持っていた場合は、病原体をヒトに渡して感染もさせます。

1.新しい仕組みの虫除け

蚊が媒介する感染症には、ウイルスが原因であるデング熱、チクングニア熱、ジカウイルス感染症、日本脳炎、ウエストナイル熱、黄熱と、原虫が原因であるマラリアなどがあります。


これらのうち治療薬があるのはマラリアくらいで、発症したら症状を和らげる対症療法が中心となります。そのため、蚊に刺されない「防御」が何よりも重要です。

現在の日本では、蚊の防御策といえば蚊取り線香や虫除けスプレーといった忌避剤が中心です。有効成分としてよく使われているのは、ディート(N,N-ジエチル-3-メチルベンズアミド)や2015年に承認されたイカリジンです。

服や肌に直接つける虫除けは、より効果が高いとされますが、①肌が弱い人はかぶれる可能性がある、②主流として使われているディートは子供への使用回数制限があるため、不安を感じる保護者も多い、などが気になる点でしょう。

そこで、新しい仕組みの虫除けが近年、開発されています。

2020年、花王株式会社パーソナルヘルスケア研究所・マテリアルサイエンス研究所は、化粧品などに使用される低粘度のシリコーンオイルを肌に塗ると、蚊が肌に止まってもすぐに飛び立つ逃避行動をとるため、吸血を阻害できることを明らかにしました。いわば、「蚊を殺さずに吸血できなくする」ことが可能となります。

これを応用した虫除けクリーム「ビオレガード モスブロックセラム」は、22年6月からタイで販売されています。

低粘度シリコーンオイルの有効性のメカニズムをさらに詳しく調べるために、同社は理化学研究所(理研)とともに蚊の観察に特化した仮想空間を構築し、研究を続けています。

本年3月にオープンアクセス科学総合誌「Scientific Reports」に発表した論文によると、①蚊の脚に低粘度シリコーンオイルがつくと、動くものを追いかける能力が低下する、②蚊は低粘度シリコーンオイル付着時(嫌な経験)のニオイを記憶し、同じニオイに対して回避行動をとる、ことが分かりました。いずれも「強い化学物質である忌避剤を使わない、新時代の虫除け」を開発する上で、大きなヒントになりそうです。

さらに同社とアース製薬は、界面活性剤の技術を応用した液体スプレー「アース・モスシューター」を開発しました。蚊に吹きかけると、羽の撥水効果がなくなって飛べなくなるといいます。スプレーは8月にタイで発売予定です。

新技術を利用した虫除けクリームやスプレーは、蚊媒介感染症による被害が深刻な東南アジアでの流通を目指している商品で、残念ながら日本国内では未発売です。もっとも、とくに小さな子供がいる家庭では高い関心を持たれそうな製品なので、近い将来に国内でも入手しやすくなるよう期待しています。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

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