コラム

変わり続ける今の世界で、柔軟に信念を変えていく生き方のススメ

2021年04月15日(木)15時20分

今の世界はどんどん変わっている phototechno/iStock.

<新たなことを学び、自分の生き方を変えていくためには、「科学者」のように考えるべき>

アメリカの東海岸北部の地域「ニューイングランド」は冬が長くて春がなかなか来ない。けれども先週末は20℃を超える夏のような気温になるという予報が出たので、夫と一緒にニューハンプシャー州のホワイトマウンテンにRV車で行って私有地でキャンプをした。

その土地のオーナーの説明に従い、キャンプサイトから国立公園のトレイルに向かって夫と2人で歩き始めた。子供時代にイーグルスカウトでキャンプやハイキングの経験を積んだ夫がさっさと先頭に立って歩いていく。方向音痴の私は彼を信じてついていったのだが、トレイルにしては枯れ葉が厚く重なりすぎているし、倒れた木も多すぎる。

しだいに歩くのが困難になってきて「これはトレイルじゃないと思う」と夫に言ってみたのだが、「ニック(土地のオーナー)はまっすぐに行って公園のトレイルにぶつかったら左に折れる、と言った。こっちの方向だ」と言ってどんどん進んでいく。そして、「あの道がきっとそれだ」と左の方向を指した。

自分の能力を過大評価

夫が指差したのは一見道に見えるが私の膝丈ほどの枯れ草がなぎ倒されているだけだ。「あれは雨水が川に流れていく水路だと思うよ。トレイルなら草は踏み潰されて生えない」と答え、「今まで来た道はトレイルではないと思うので引き返そう」と提案した。私は方向音痴だが、森のジョギング歴は長い。その間に獣道とトレイルを間違えたこともあるし、迷ったこともある。それは夫にはない体験だ。

今歩いているところがトレイルではないと思う理由を説明したら、彼も納得して引き返すことになった。背が高い夫が目の前にいると風景を見ることができないので、今度は私が先頭に立って来た道を戻った。すると、夫が見逃していたトレイルが見つかった。新たに見つけたトレイルを歩きながら、私は「これって、Adam GrantのThink Againに出てきそうなエピソードだね」と夫に語った。

best210415-trail.jpg

雪が残るホワイトマウンテンのトレイル(筆者撮影)

Adam Grantはペンシルバニア大学ウォートンスクールで組織心理学(organizational psychology)を教えている心理学者で、大物のビジネスマンが信頼するベストセラー作家だ。今年2月に発刊されたGrantの『Think Again』は、これまで強く信じていたことでも柔軟に「考え直すこと」の貴重さを説いた本だ。

この本の最初のあたりに出てくるのが、ほんのちょっとだけ知識を得た人が自分の能力を過大評価するダニングクルーガー効果だ。アメフトをやったことがないのに、プロのクォーターバックや監督のプレイをわかったように批判するスポーツファンがよくいるが、それは「armchair quarterback syndrome」と呼ばれる。アメフトのことをまったく知らない人なら絶対にしないことだが、ちょっと知っていると自分の知識を過大評価するようになるのだ。

私が「これはトレイルではないと思う」と最初に言ったとき、夫は「木にマーキングがある。これはトレイルの証拠だ」と言って譲らなかった。実はこれは別のマーキングだったのだが、少し知識があるがゆえに、地面の様相がまったくトレイルらしくないという別のエビデンスを彼の脳は無視することにしてしまったわけだ。「これはトレイルではない」と思っているのに強く言えずについていった私は、Grantが対で紹介しているimposter syndromeのほうだ。経験があっても自分が偽物のような気がして強く押せないのである。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

トランプ関税巡る市場の懸念後退 猶予期間設定で発動

ビジネス

米経済に「スタグフレーション」リスク=セントルイス

ビジネス

金、今年10度目の最高値更新 貿易戦争への懸念で安

ビジネス

アトランタ連銀総裁、年内0.5%利下げ予想 広範な
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 5
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 6
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 9
    トランプ政権の外圧で「欧州経済は回復」、日本経済…
  • 10
    ロシアは既に窮地にある...西側がなぜか「見て見ぬふ…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 5
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 6
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    週に75分の「早歩き」で寿命は2年延びる...スーパー…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 5
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 6
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 7
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story