コラム

安倍首相の辞任で分かった、人間に優しくない国ニッポン

2020年09月19日(土)13時15分
石野シャハラン(異文化コミュニケーションアドバイザー)

安倍首相の約8年の政権運営全般を素晴らしいとは言わないが Akio Kon-Bloomberg/GETTY IMAGES

<持病が悪化して辞任を表明した安倍首相に対して、日本の世論の論調は冷たすぎる>

安倍晋三首相が辞意を表明した。次の首相は誰になることか。この号が発売になる頃にはもう決定していることだろう。

安倍首相の持病である潰瘍性大腸炎が悪化しているらしい、というニュースが流れてから、前回2007年に総理が辞任したときと同様に潰瘍性大腸炎についての解説がマスコミで流れるようになった。

私事ではあるが、私の娘にも消化器の慢性疾患があり、発病してから定期的に通院している。特効薬もなく、食事内容を調整する対症療法のみで、完治した例はないと医師には言われている。何度か悪化して入院もした。病棟の同じ階には消化器の疾病で入院している子どもたちがたくさんいて、その中の多くは、安倍首相と同じ潰瘍性大腸炎や、大腸以外にも潰瘍が広がるクローン病を患っている子どもたちだった。

マスコミで解説されているように、これらの病気はいまだに難病で、改善や寛解が認められる患者もいるが、完治させる方法はないとされている。子どもたちの入院も長くなることがあり、そのような子は院内の特別支援学校で授業を受けている。食事ができる子がいる一方で、症状が重い子は固形物や繊維質・脂質の摂取を避けるために、液体状の専用栄養剤で必要なカロリーを取っている場合も多い。私の娘もしばらくはそうした栄養剤で過ごしていた。

完治しない病気はたくさんある

娘は担当医の皆さんのご尽力のおかげで、今のところ食事以外は普通の生活に戻れている。だが多くの子どもたちが同様の病気で苦しんでおり、非常に切ないものがある。5G回線で大量の情報を一瞬でやりとりでき、火星探査までできる時代であるのに、人間の体内にはまだ分からないことがたくさんあり、完治しない病気がたくさんあるのだ。

私は決して安倍首相の約8年間の政権運営全般を素晴らしいものだったとは言わない。新型コロナウイルス対策にも言いたいことはある。しかし、それでも今回の辞任表明に対する論調は冷た過ぎると感じる。彼は自分の意思で政治家になり首相になったのだから、馬車馬のように働いて当然、健康も私生活も顧みられなくて当然、死ぬ気で働いて当然。多くの日本人はそんなふうに考えているのだろうか。

彼は曲がりなりにも、約8年間も身を粉にして総理大臣を務めてきた生身の人間である。彼の政治的野心や実績は脇に置くにしても、持病の悪化を押して務めに当たってきたのはどれほどつらいものか、そのせいで辞任するのはどんなに悔しいものか、想像するに余りある。病気は彼のせいではない。それを「溺れる犬は石もて打て」とばかりに責め立てるのは、人として冷酷過ぎると私は思う。

プロフィール

外国人リレーコラム

・石野シャハラン(異文化コミュニケーションアドバイザー)
・西村カリン(ジャーナリスト)
・周 来友(ジャーナリスト・タレント)
・李 娜兀(国際交流コーディネーター・通訳)
・トニー・ラズロ(ジャーナリスト)
・ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イラン大統領と外相が死亡、ヘリ墜落で 国営TVは原

ビジネス

EVポールスター、ナスダックが上場廃止の可能性を警

ワールド

仏当局、ニューカレドニア暴動はアゼルバイジャンが扇

ワールド

頼清徳氏、台湾新総統に就任 中国に威嚇中止を要求
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 7

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 8

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 9

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 10

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story