コラム

無条件ベーシックインカム:それは社会の革新なのか幻想なのか?

2021年03月05日(金)18時30分

ドイツでは15年ほど前から、無条件ベーシックインカムが何度も議論されてきた...... martin-dm- iStock

<コロナ危機で、多くの人々が経済的困難に陥っている中、ドイツでは無条件ベーシックインカムの議論が盛んに行われている......>

ドイツでの議論

ドイツでは今、無条件ベーシックインカム(Unconditional Basic Income =UBI)をめぐって、賛否両論の議論が繰り広げられている。進行中のコロナ危機により、多くの人々が経済的困難に陥り、生計のために戦っている時に、人々はUBIを鮮明に意識するようになっている。毎月の基本所得は、人々に基本的な安全を提供し、存在への恐れを軽減することができるからだ。

ドイツでは、ハルツ改革と呼ぶ社会保障制度の抜本的な修正の必要性が議論され、パンデミックは、私たちに多くの政策を見直す機会を与えている。東西ドイツ統一後の労働市場政策では、労働者を守ることに主眼が置かれ、解雇や有期雇用契約に対する厳しい制限、失業者に対する手厚い保障などが実施されてきた。

ハルツ改革の課題

2002年8月、ハルツ委員会の改革案が当時のシュレーダー政権に提出され、高失業率と硬直した労働市場システムの修正を求めた。この改革は、失業保険からの給付金だけで生活し、再就職しない失業者を減らし、失業率を下げるという目的があった。つまり手厚い給付金で生活できてしまうことで、労働意欲が低下するという問題である。

UBIが議論されるときに必ず参照されるハルツ改革は、職業紹介所などの組織の再編、派遣労働に関する規制緩和など、特に失業保険と生活保護の融合を行なった。一方、ハルツ改革をめぐっては、「社会の二極化」を懸念する批判もあった。現在、UBIをめぐる反対派の議論の中心でもある「人々は基本所得があれば、わざわざ仕事をしない」という論点は、このハルツ改革のトラウマに起因している部分も多い。

UBIを支持するドイツ国民が急増するなか、その賛成論の多くが、根本的な阻害要因を直視していないと指摘する批判も根強い。善意がうまく行くとは限らないからだ。

UBIの推進動向

昨年、ドイツにおけるUBIの実証実験のために、200万人の実験参加者を募ることに成功した民間事業「マイ・ベーシックインカム(Mein Grundeinkommen)」の目的は、UBIの主題に関して十分に根拠のある結果を取得し、白熱する議論を検証するためである。ドイツ経済研究所 (DIW)が主導するこの実験では、200万人のうち、最終的には1,500人の研究参加者が多段階のプロセスで無作為に選ばれ、そのうち122人が今年6月から3年間、毎月1,200ユーロ(約15万5千円)を受け取ることになる。

ベルリンの政治団体である「遠征ベーシックインカム(Expedition Grundeinkommen)」は、UBIの実現に向けた国民投票を呼びかけており、2023年から独自の公的資金によるモデル実験を開始しようとしている。

そこに今、EU加盟国の活動家、組織、ネットワークからなる「EU全体の無条件ベーシックインカムに関する欧州市民イニシアチブ」が動きはじめており、EU加盟各国で100万人の賛同署名を集めることを目標に、欧州委員会への働きかけを開始している。

プロフィール

武邑光裕

メディア美学者、「武邑塾」塾長。Center for the Study of Digital Lifeフェロー。日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。インターネットの黎明期から現代のソーシャルメディア、AIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。著書『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。このほか『さよならインターネット GDPRはネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社)、『ベルリン・都市・未来』(太田出版)などがある。新著は『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』(黒鳥社)。現在ベルリン在住。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

プーチン氏「戦略部隊は常に戦闘準備態勢」、対独戦勝

ワールド

マレーシア中銀、金利据え置き インフレリスクや通貨

ワールド

中国軍艦、カンボジアなど寄港へ 米国は警戒強める可

ワールド

米国、ドイツ最大の貿易相手国に 中国抜く
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必要な「プライベートジェット三昧」に非難の嵐

  • 3

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 4

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 5

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食…

  • 6

    この夏流行?新型コロナウイルスの変異ウイルス「FLi…

  • 7

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 8

    ロシア軍兵舎の不条理大量殺人、士気低下の果ての狂気

  • 9

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 10

    いま買うべきは日本株か、アメリカ株か? 4つの「グ…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 9

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 10

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story