アフガニスタン、タリバン「報復しない」は偽り? 地方一家が恐怖を証言
タリバン政権のムラー・モハマド・ヤクーブ国防相は前週、タリバンの勝利後に一部の戦闘員がとった行動を非難する声明を発表した。ただ具体的な事例には言及しなかった。
「不信心者と、悪名高い元兵士たち」がタリバン戦闘員に合流し、省庁や政府機関オフィスの占拠から2─3件報じられている殺人に至るまで、さまざまな罪を犯したというのが国防相の説明だ。
「誰もがアフガニスタン全土で布告された大赦の決定を知っている。誰かに復讐する権限を与えられた戦士はいない」
ソーシャルメディアで共有される報復
タリバンは1996年から2001年にかけて国内を支配し、独自の解釈によるイスラム法を厳格に執行した。公開の石打ちや身体の切断を行い、女性の労働や少女の就学は禁止された。
タリバンは、今回は国民の人権を尊重し敵の捜索はしないと表明しているが、身の安全と将来に不安を感じた何万もの人々が、混乱極まるカブール脱出を経て国外に出た。潜伏中の人はさらに多い。
ソーシャルメディアへの数百件の投稿では、携帯電話による画質の粗いものだが、武装した男たちによる家宅捜索、路上での人々に対する殴打、拘束して車に乗せるといった映像がシェアされている。
複数の元当局者、軍関係者、その他前政権に近い人々が、報復があったと主張している。ロイターではそうした主張の裏付けを得られていないが、ロイターのインタビューに応じた人の中には、恐怖のあまり自らの体験を公表できないという声もある。
オマル氏の一件は、これまでのところ、西側諸国の支援を受けた前政権で働いた人々、特にタリバンをアフガンから追放するために戦った人々に対するタリバンの報復を最も詳しく伝える証言の1つだ。
潜伏中
山がちなアフガニスタン東部に位置し、リンゴやレモンを育てる農地が点在する谷間にあるコディ・ケルという僻村は、以前からタリバンの標的になっていた、と住民らは語る。
住民らによれば、2001年に権力の座を追われた後、タリバンがパキスタンへと続く戦略上重要なルートの支配権を取り戻そうと試みる中で、この村と周囲のシェルザド地区はロケット弾による攻撃を受けたという。