最新記事

認知症

認知症患者から見た世界を描いた映画『ファーザー』を、『全員悪人』著者はどう見たか

2021年6月1日(火)12時04分
村井理子
映画『ファーザー』のワンシーン

© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020

<『ファーザー』と同じく認知症患者が見る世界を描いた『全員悪人』の著者・村井理子氏は、この映画は介護者の「救い」になると語る>

名優アンソニー・ホプキンスの二度目となるアカデミー賞主演男優賞受賞で注目を集め、現在公開中の映画『ファーザー』。認知症患者の父とその娘の葛藤を、患者である父側の目線から描いた作品だ。

ホプキンスがアメリカでアカデミー賞を受賞したまさにその翌日、日本でも1冊の本が発売になった。エッセイストで翻訳家の村井理子氏が書いた家族のドラマ『全員悪人』(CCCメディアハウス)。この作品もまた、家族の認知症を主題に扱う。介護する側の村井氏ではなく、介護される患者のモノローグで書き、発売後たちまち重版がかかった。

2つの作品に共通するのは、観客、あるいは読者が、認知症当事者に見える世界を、そのまま追体験する点だ。断片化し一本の線でつながらなくなった記憶、いないはずの人が見える不安、自分を何もできない幼児扱いする者へのいら立ち、そしてどんどん己が何者かさえわからなくなっていく戸惑いと恐怖......。

途中からはミステリー作品を見ているような錯覚にとらわれさえするが、認知症患者の目から見える世界とは、大げさではなく、このようなものであるようだ。

『ファーザー』を見た村井理子氏が身内の認知症についての経験を寄稿してくれた。

***

お稽古の生徒について話す義母

週末が近くなると、二年前に認知症と診断された義母から、電話連絡が入るようになる。決まって彼女は、「週末、お茶でも飲みに来ない?」と私を誘う。

「来週お稽古があるから、和室をきれいに片付けたんよ。そしたら窓から見える庭の木がほんまにきれい。だから、あなたとお茶でもどうかなって思って」 

義母はうれしそうな声で言う。私はそんな彼女に二つ返事で行きますねと答え、和菓子を手土産に実家を訪れる。きれいに片付けられた和室に、義母と向き合って座る。

これはどこのお菓子? へえ、かわいらしいわあ、甘さも上品で美味しいわねえ、この淡い色合いがほんまに最高やわ。

喜んだ義母は、体調の悪い日に比べれば信じられないほど昔のままの口調で、笑顔を見せる。こんなたわいもない会話を、私としばらく繰り返す。彼女が週一回教えているというお稽古ごとには、何人か生徒さんがいらっしゃって、長い方だともう二〇年以上も通ってきてくれているそうだ。

義母は「そういえば、みなさんお元気かしら? お顔を見ていないような気がするんやけど?」と不思議そうに言う。私は「今はコロナですから、もう少し教室はお休みにしないといけませんね」と答える。すると義母は「ああそうやったわ! コロナでお休みやったわね」と言う。

「こんな状況やけど、がんばって来て下さる方には楽しんでもらいたいのよ」と、義母の情熱は衰えることを知らない。彼女は私が知る限り、人生の半分以上をこのお稽古事に打ち込んできた。生徒さんたちをまるで娘のように、親戚のように大切にしてきた。認知症と診断されようとも、その熱意が変わったようには見えない。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

米ダウ、一時初の4万ドル突破 好決算や利下げ観測で

ビジネス

金融デジタル化、新たなリスクの源に バーゼル委員会

ワールド

中ロ首脳会談、対米で結束 包括的戦略パートナー深化

ワールド

漁師に支援物資供給、フィリピン民間船団 南シナ海の
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 3

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃のイスラエル」は止まらない

  • 4

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 5

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 6

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 7

    2023年の北半球、過去2000年で最も暑い夏──温暖化が…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    仰向けで微動だにせず...食事にありつきたい「演技派…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中