最新記事

海外ノンフィクションの世界

セックスとドラッグと、クラシック音楽界の構造的欠陥

2017年2月8日(水)17時33分
柴田さとみ ※編集・企画:トランネット

PeopleImages-iStock.

<米クラシック音楽界の内情を赤裸々に描いたAmazon制作のドラマ『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』。その原作本は、スキャンダラスな内容とはうらはらに、鋭い指摘に満ちている>

2016年、米Amazonが制作を手がけた少々異色なドラマが第73回ゴールデングローブ賞の主要2部門を受賞した。『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』。ニューヨークの名門オーケストラを舞台に、クラシック音楽という一見「お堅い」世界の内情を赤裸々に描いた上質のコメディドラマである。

原作は同名の書籍『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル ~セックス、ドラッグ、クラシック~』(上下巻、筆者訳、ヤマハミュージックメディア)。オーボエ奏者として数々のオーケストラで演奏し、現在はジャーナリストとして活躍するブレア・ティンドールの自叙伝だ。セックスとドラッグと閉塞感が蔓延するクラシック音楽界の内情を暴露し、音楽学校時代に受けたセクハラや、主席奏者とのセックスと引き換えに仕事を得てきた自らの体験を綴っている。

だが、そんなスキャンダラスな内容とはうらはらに、アメリカの音楽業界史を俯瞰し、その構造的欠陥を指摘する著者の視点は鋭い。

アメリカのクラシック音楽家を取り巻く現実は、ドラマのなかでコメディタッチで描かれる以上に過酷を極めているのが実情だ。プロのクラシック演奏家を夢見て、毎年膨大な数の才能ある若者が音楽大学を卒業する。そのなかでソリスト(独奏者)やオーケストラ団員として安定した地位を得ることができるのは、ごくひと握りの選ばれた人間のみだ。

大多数の演奏家は低賃金のフリーランスの仕事で何とか食いつなぎつつ、めったに空かないオーケストラ常任団員の席をめぐって熾烈なオーディションに挑んでは敗れる日々を繰り返すこととなる。

医療保険もなく安アパートに暮らし、時たま代理演奏の仕事をもらえても、無給のリハーサルや膨大な移動費を考えれば報酬は最低賃金以下。創造性とは無縁のあくなき反復練習と代わり映えのしないコンサート演目に音楽への情熱は次第に薄れ、さりとて音楽以外の教育を受けてこなかったためキャリア転向の道はもはや閉ざされている......。

本書の随所から伝わってくる「音楽への愛」

著者のティンドールもまた、「注目を浴びたい」という少女時代の幼い憧れから音楽学校という進路を選び、豊かな才能に恵まれながらも、脱出路のないクラシック業界という泥沼にはまり込んでいった。

【参考記事】ベルリン・フィルの次期音楽監督人事を考える

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豪2位の年金基金、発電用石炭投資を縮小へ ネットゼ

ビジネス

再び円買い介入観測、2日早朝に推計3兆円超 今週計

ワールド

EUのグリーンウォッシュ調査、エールフランスやKL

ワールド

中南米の24年成長率予想は1.4%、外需低迷で緩や
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉起動

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    ポーランド政府の呼び出しをロシア大使が無視、ミサ…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    米中逆転は遠のいた?──2021年にアメリカの76%に達し…

  • 8

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 9

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 9

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中