最新記事

スラムドッグの抜け出せない監獄

編集者が選ぶ2009ベスト記事

ブッシュ隠居生活ルポから
タリバン独白まで超厳選

2009.12.15

ニューストピックス

スラムドッグの抜け出せない監獄

「スラム街出身の本誌記者が、極めて私的な視点で語っているからこそリアルだし、彼にしか書けなかった1本。自分のアイデンティティーをさらしてでも訴えたかった、という記者魂が伝わってくる」(本誌・小暮聡子)

2009年12月15日(火)12時08分
スディプ・マズムダル(ニューデリー支局)

「スラムの過酷な現実を生きた記者の壮絶な生き様に、引き込まれずにはいられません。大半の住民が「監獄」から抜け出せないなかで、彼の支えになったのが文学。道標となる作品との出会いの大切さを改めて思い知りました」(本誌・小泉淳子)

「記者の実体験だからリアル」(本誌・中村美鈴)


sp_2009best004.jpg

同じ日常 『スラムドッグ$ミリオネア』に出演した少年アザルディン・イズマイル(右)は、映画撮影後もムンバイのスラム街で暮していた(09年2月)  Arko Datta-Reuters


インドのスラム地区出身の本誌記者が語る映画『スラムドッグ$ミリオネア』では描かれない真実

 映画『スラムドッグ$ミリオネア』を見に行く途中、タクシーの運転手に頼んでコルカタ(カルカッタ)市内のタングラ地区を通ってもらった。このインド東部の都市にあるスラム地区に、私は10代後半のころ暮らしていた。35年以上昔の話だ。

 ほとんど変わっていなかった。迷路のように入り組んだ狭い通りに、金属板とポリ袋でつくった粗末な小屋。ガリガリにやせた男が道端でかみタバコをくちゃくちゃやり、裸の子供たちが路上で排便し、空き缶を抱えた女たちが公共の水道の蛇口の前に列をつくる。ゴミと排泄物の臭いが充満しているのも昔と同じ。60年代と違うのは、いくつかの小屋にカラーテレビがあることだけだった。

 私は今でも、どうやって自分がそこから抜け出せたのか不思議に思う。今年のアカデミー賞で8冠に輝いた映画『スラムドッグ$ミリオネア』の主人公のジャマールは、いかにも映画らしく、愛と勇気と幸運の力で道を切り開く。この映画はインドのスラムの実態を「リアルに」描いたと言われるが、実態はそんなものではない。

 スラムの生活はいわば監獄だ。恵まれた人たちとの落差を見せつけられれば、自信を胸にいだき続けられるはずがない。プライドを奪われ、大きな夢と想像力をなくす。住み慣れたスラムの外に一歩出ると、たちまち途方に暮れてしまう。スラムの住人の大半に、ハッピーエンドは待っていない。

警察を逃れてスラムを渡り歩く日々

 ジャマールと違って私は孤児ではなく、両親は東ベンガル(現在のバングラデシュ)の比較的裕福な家庭の出身だった。しかし両親は新婚時代に宗教対立による暴動で財産をほとんど失い、インド北東部ビハール州の州都パトナに逃れた。その町で私は生まれた。

 いちばん上の妹はある雨の夜、ネズミがはい回る粗末な小屋で産声を上げた。遠くの建築現場で働いていた父は不在で、3歳の私と6歳の兄が助産師(文字の読めないアヘン常用者だった)を呼びに行った。戻ってきたとき赤ん坊はもう生まれていて、助産師はへその緒をカミソリで切断し帰っていった。母は翌朝まで、赤ん坊が濡れないように小屋の中で雨漏りのしない場所を探して過ごした。

 私たちがそのスラムを抜け出したのは3年後。父が建設会社の事務の仕事に就き、ダム建設現場の近くに引っ越した。家族全員で一部屋の「新居」だったが、スラムに比べればよっぽどよかった。私は近くの学校に通いはじめた。10代になるころには、地元のギャングに加わっていた。ギャングの一員になることで、自信と安心と興奮を感じていた。私たちは品物や畑の作物をくすね、トラックの運転手から通行料を徴収し、ほかのギャングとは縄張り争いをした。仲間の多くは父親が飲んだくれだったり、義理の母親に虐待されていたり。ダム建設会社で働くことがみんなの夢だった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

北朝鮮が短距離弾道ミサイル発射、日本のEEZ内への

ワールド

中国、総合的な不動産対策発表 地方政府が住宅購入

ワールド

上海市政府、データ海外移転で迅速化対象リスト作成 

ビジネス

中国平安保険、HSBC株の保有継続へ=関係筋
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、さらに深まる

  • 4

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 7

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    日鉄のUSスチール買収、米が承認の可能性「ゼロ」─…

  • 10

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中