コラム

ヒスパニック票を無視できなくなったアメリカ政治

2012年06月27日(水)10時17分

 25日の月曜日にアメリカの連邦最高裁は、かねてより問題になっていた、アリゾナ州の「不法移民規制法」の一部について、違憲であり無効という判断を下しました。

 全ての移民は「合法移民である証明書を携帯すべき」であって、警察官が尋問した場合に合法移民であることを証明できないと、即座に逮捕されてしまうという「問題の」法律に関しては、論争に終止符が打たれた格好です。

 オバマ政権は、かねてよりこの法律に関しては、違憲判断へ持ち込もうとしていたことから、勢いづいています。とりわけ、別件の「メキシコ国境武器密輸出」に関する「おとり捜査失敗スキャンダル」で共和党の集中攻撃を受けている最中のホルダー司法長官は、これで一息ついた形です。

 では、この規制法を後押ししてきた共和党の方はどうでしょう。政治的には打撃であり、最高裁の過剰権力行使であるなどと、批判を強めているのかというと、必ずしもそうでもない様子です。

 渦中のアリゾナ州のブリュワー知事などは、さぞかし「不当判決に抗議」という感じかと思えば、意外にも平静でした。「我々は規制法で一定の成果を挙げたし、何も今回の判決で規制法の全てが否定されたわけでもない」という言い方はまだ分かるのですが、「この問題での最高裁判断が出た現時点での政治的勝利者は我々共和党である」という宣言は、レトリックであるにしても何とも強引です。

 これは、6月15日に、オバマが若者を中心とした不法移民の一部合法化を大統領令という形で発表した時のリアクションに似ています。共和党の、例えば大統領候補のロムニーなどは、オバマに対して猛反発することはせず、自分たち独自の不法移民対策案を提示してきたのです。

 アリゾナ州で、あれほどの批判を受けながらも規制法を通し、その規制法を守ってきた知事が、その規制法に違憲判断が下っても、激しい反発はしなかった、これはどういうことなのでしょう。

 1つには、今回の大統領選で勝敗の行方を握っているというフロリダのヒスパニック票を敵に回したくないという問題があるわけですが、 それ以上に、その背景には17%に迫るというヒスパニック人口を無視できないという事実があると考えられます。

 では、このようなヒスパニック人口の増加に対する反発や摩擦という問題はどうなのでしょう。アメリカは、この問題に関しては過去50年にわたって、色々と苦闘してきたわけです。明らかにヒスパニック人口への差別があり、それに対する反発もあったわけです。あの悲惨なロス暴動にしても、相当数のヒスパニックが参加しており、犠牲者も出ていました。

 恐らく、こうした時代、アメリカという社会がヒスパニック人口を受け入れてゆくプロセス、その痛みを伴った時代が静かに過ぎようとしているのだと思います。アメリカは、最高裁の判決も、大統領選も、ヒスパニック人口を、自然な形で「身内」としていこうとしているのです。

良く、ヒスパニック人口が一定の率を越えるとアメリカはアメリカではなくなるというような意見を聞きますが、アメリカ国内ではそうした実感は薄いように思います。街にスペイン語の表示が増えようと、スポーツ選手の多くをヒスパニックの人々が占めようと、アメリカはアメリカであって、そこに違和感を感じるということはもう薄くなっています。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米・イランが間接協議、域内情勢のエスカレーション回

ワールド

ベトナム共産党、国家主席にラム公安相指名 国会議長

ワールド

サウジ皇太子と米大統領補佐官、二国間協定やガザ問題

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 3

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの過激衣装にネット騒然

  • 4

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 5

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 6

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 7

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 8

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 9

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 10

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story