「国内雇用」を守るために有効な政策はあるのか?
小沢一郎氏と菅直人氏の間で戦われている民主党の代表選は、よく見てみると対立軸があるようです。菅首相が外需も含めた日本の競争力維持を訴えているのに対して、小沢氏は内需中心の経済を指向(と主張)している点、菅首相が財政規律を意識しているのに対して、小沢氏は依然として財政出動に期待している点などには、明確なコントラストがあるようです。
中でも注目して良いのは、菅首相の陣営が「雇用」を優先課題に打ち出したことだと思います。過去50年の日本では、好景気に沸いた高度成長・安定成長・バブルの時代も、その後の「失われた20年」も、政権がハッキリと国内雇用を守るという姿勢を取ったことはなかったからです。そこには明確な理由が3点ありました。
1つは、外需依存の貿易立国を貫くには自由貿易の建前は崩せなかったという点です。少なくとも農業は保護主義でしたが、農業を守るためにも工業製品の通商に関しては、ここ50年の日本という国は、保護主義は「カケラ」も見せなかったと言って良
いでしょう。それどころか、「貿易摩擦」緩和のための米国への生産拠点移転や「日中友好」のための中国への技術移転など「国内雇用を犠牲にする」政策が、霞が関と永田町の主導で行われたと言っても過言ではないでしょう。
2つめは、正社員の雇用は守られるという労働慣行は誰も疑わなかったからです。経済紙を読み、ビジネス書を買ったりして「経済政策」の世論をそれなりに形成する層は、この時期はほとんどが正社員であり、自身の雇用は安泰であることを信じて疑わないことが許される時代でした。また、有期雇用の労働力には家計の一部を支えることしか期待されなかった時代でもありました。
3つめは、それでも日本経済は回っていたからです。中付加価値品の生産拠点を米国などの消費地や、中国などの低労働コストの土地へ移転しても、次から次へ新しい付加価値商品を生み出すことでは国内生産でも十分に競争力があったからです。
ですが、2番目と3番目の要素は消えてゆこうとしています。そんな中、1つめの問題はまだ残っていますが、それでも、そうした建前をかなぐり捨ててでも「国内雇用」を守るという政策を打ち出さねばならない状況になったのは間違いないと思います。そして、今現在特に国内雇用が最大の政治的な課題になっているアメリカから見ていると、そのことは大変に自然に思えるのです。
では、具体的に国内雇用を守る政策というのは可能なのでしょうか? 例えば、国内の労働コストが高くなるような規制をすれば生産拠点はどんどん海外に流出するでしょうし、日本の本社に海外の生産拠点から利益を吸い上げる仕組みに規制をかければ、本社機能も海外に出ていってしまうでしょう。例えば、このままデフレとリストラが進んで、日本の賃金水準がアジアの平均ぐらいまで下がれば競争力が戻るという議論もありますが、そんなマイナスの思考は「政策」ではありません。そんな形で雇用を守っても人間や社会はそんなに後ろ向きの話には耐えられないと思います。
では、内需で経済が支えられるかというと、中国のように社会インフラの改善ニーズ、個々人の消費生活の改善意欲があり、人口という規模が掛け算で効いてくる市場では、内需という形でカネがどんどん回るということはあると思います。ですが、日本の場合は「カネを使う場所」が乏しい中で先行き不安もあり「国内消費や国内の公共投資などの内需が牽引」する形で経済が立ち直るというのは難しいと思います。それに内需の大部分が外需のための産業の裾野であり、また外需のカネが回る形で動くということも無視できません。
ですからどうしても、外需を活性化しなくてはなりません。とりわけ、エネルギーと原材料、食料を輸入に依存している日本の場合は、日々のキャッシュフローとしての外貨獲得は生命線です。その外需という点で言えば、現在、中付加価値大量生産品の競争力には期待できない中で、雇用を守るためには「より高付加価値の産業」にシフトするしかありません。そこで、問題になるのが米国型の知識集約型産業、つまり高度なコンピュータソフト、金融工学、宇宙航空、医療機器・医薬品開発などの分野でのエリートを大量育成する一方で、そのエリートが稼ぐカネをサービス業などで全国にグルグル回すというモデルを採用するかどうかです。こうした政策は勿論進めるべきです。ですが、そうしたグローバル人材の育成には時間がかかります。その前に経済が大破綻してしまってはどうしようもありません。
では、どうしたらいいのか? 私は、今日本で何らかのミスマッチを起こしている技術や人材を活用して、競争力を取り戻すには「高付加価値」でも「中付加価値」でもない「中の上付加価値」を狙うべきだと思うのです。「中の上」とは何でしょう? それは既存の製品に付加価値を乗せて競争力を高める戦略です。携帯が日本でガラパゴス化しているのなら、同じように北米や欧州向け、ロシア向け、中国向けにそれぞれの文化やコミュニケーション習慣を熟知した上で、それぞれのマーケットの「ガラパゴス進化」に最適化した「中の上付加価値」を乗せてゆくのです。
自動車しかり、特にエコカーについてはそれぞれの市場の運転パターンや社会の価値観を反映した規制を受けて、製品に味を乗せてゆかねばなりません。この分野では、画一的な「世界戦略車」が有効な部分と、各市場に特化した部分との切り分けに成功すれば、世界市場を席巻することも可能でしょう。食の安全が懸念される中、例えば全世界相手の調味料や一部の加工食品は全部日本が引き受ける、しかも市場別の「ガラパゴス進化」も乗せてということもあり得ると思います。デザインはともかく機能性衣料なら日本製とか、他の文化圏に最適化さえすれば、売ってゆけるモノはたくさんあるように思うのです。現在の為替レートを考えると、必要な海外の企業を買ってゆくチャンスもまだあると言えるでしょう。
そうした「中の上」が上手く行くためには、エリートレベルのグローバル人材でなくてもいいから、どんどん若い人を海外に出すこと、そして民間にカネが回るようにすることが重要です。また職種としては、開発よりも国際的なマーケティングや営業が大事になるでしょう。改めて世界に日本製品を売って行って、その注文をベースに国内での生産体制と雇用を再建するということになります。政策論としては、少なくとも税制や労働政策と高等教育はこうした戦略と整合性を取って、経済活動を支援することは可能だと思うのです。後は、余りにもお人好しに生産技術を他国に移転するのは、この辺りで何らかのブレーキを掛ける必要があるようにも思います。
日本ではリトルリーグはどうして注目されないのか?
8月29日の日曜日、ペンシルベニア州ウィリアムズポートで毎年行われる「リトルリーグ・ワールドシリーズ」で、日本代表の江戸川南リトルが、アメリカのハワイを4対1で破り、日本としては2003年に武蔵府中が優勝して以来、7年ぶりに世界チャンピオンの座を奪還しました。このリトルのワールドシリーズというのは、アメリカでは大変にメジャーなイベントで、16チームが4グループに分かれて参加する予選トーナメントと準決勝はスポーツ専門局のESPNが、そして決勝戦は3大ネットワークの1つABCが全国中継するという扱いになっています。
実は、日本はこの「ワールドシリーズ」上位の常連で、2003年の前は2001年が東京の北砂、その2年前の1999年は大阪の枚方が世界一になっています。ウィリアムズポートにある、ワールシリーズ専用球場に併設された「リトルリーグ博物館」には毎年の戦績をたどるコーナーがあるのですが、そこへ行けば日本のリトルリーグは大変な存在
感を持っているのです。
このウィリアムズポートというのは、アメリカの少年たちにとって、そして少年野球指導者たちにとっては正に「聖地」です。というのは、今の制度では日本の場合は、優勝チームはそのまま各国代表トーナメントの8チームの1つとして、この世界大会に参加できる(2007年から)のですが、アメリカの場合は、確かに8チームのアメリカ地区代表がトーナメントに出場できるものの、その8チームの1つになるためには、その町のリーグを構成する多くのチームから選抜した「町のオールスター」をまず結成し、それが郡とほぼ同じ「ディストリクト」で優勝しなくてはならないし、更に次の段階で州の地区優勝、州のチャンピオン、中地区チャンピオンと勝ち抜いて初めて、米国のベスト8に辿り着くのです。
ですから、アメリカのリトルの側からすると、そうやって最後は米国のチャンピオンになって、その先に各国チームのトーナメントと準決勝を勝ち抜いた相手に「胸を借りる」という感覚があるのです。随分昔の話になりましたが、私の子どもがまだ小さくてリトルの選手だった頃に、大変世話になったデイブという監督さん(私の町内で本職は建築事務所経営)と一緒にチーム全体で「リトル博物館」へ行ったことがあります。その際に彼が、日本の優勝チームの紹介パネルを見ながら「俺は町のチームを少し勝たせるだけでも大変なのに、世界一になるなんていうのは、どんな監督さんなんだろう」とはるか上を仰ぎ見るような顔で言っていたのを思い出します。
今年の大会は本当に厳しい試合が続きました。まず、江戸川南にとっては各国リーグで2度当たったメキシコとの戦いが壮絶でした。最初の対戦は負けゲームを最後に逆転3ランでひっくり返し、2度目の対戦も2対1という僅差で守りぬいたことが大きかったと思います。とにかくここ数年、日本チームはトーナメントや準決勝で、メキシコに敗れて決勝進出を逃すことが何回かあったからです。これに加えて、準決勝の台湾戦も延長に入ってのサヨナラ勝ちというドラマチックなものでした。
今回は、ESPNの野球解説者として、ボビー・バレンタイン氏(前ロッテ監督)と、引退したばかりの新人評論家のノーマ・ガルシアパーラ氏(元レッドソックス、ドジャース、アスレチックスなどの名遊撃手)が素晴らしいコメントをつけていたのが印象的でした。特にバレンタイン氏は、時折江戸川南の監督さんのコメントを「超訳」をつけて紹介したり、日本の野球事情を説明したり、徹底的に日本野球の素晴らしさ、日本の子供たちの素晴らしさをアメリカの視聴者に訴え続けていました。まるで日本の野球大使と言ってよく、日本の野球界としては感謝してもしきれないぐらいの内容でした。ちなみに、その江戸川南の監督さんは有安信吾監督といって、長年チームを率いており、松坂大輔投手が在籍していた時の指導者でもあるなど、大ベテランだそうです。
これだけの素晴らしいドラマ、しかも日本チームがアメリカの大舞台で活躍している姿が、残念ながら日本ではTV中継がほとんどされていません。そのために、話題性にも乏しいのは何とも寂しい限りです。この問題に関しては、私としては色々と理由を考えてきました。「リトルは、高校野球より低年齢なのに、企業の協賛などがあってカネの匂いがするので、『純粋』が大好きな日本の野球ファンには違和感があるのでは?」とか「余りにも実力主義なので抵抗がある?」、「高校が丸刈りなのに、より若いリトルの選手は長髪で違和感がある?」(今年の江戸川南は丸刈りで、逆にアメリカでは違和感がありましたが、バレンタイン氏はこの点も擁護していました)、「放映権料が高い?」などと、あれこれと悩んだものです。
ですが、問題はそんなに複雑な話ではないのかもしれません。要は、この12歳から13歳のレベルの野球というのは、日本では圧倒的に軟式が主流なのです。警察や商工会などが支援して行われている小中学校レベルの地区少年野球も、各中学校の野球部も、みんな軟式なのです。ですから、同世代の野球少年やその親にとっては、リトルの硬式野球というのは、余りなじみがないのだと思います。その結果、多くの野球少年や野球ファンに取って、リトルというのは少数の野球エリートを中心とした遠い存在になってしまっているのではないでしょうか?
では、どうして軟式なのかというと、これはインフラの問題に尽きます。中学の校庭で他の部活に混じって練習する、大きな公園に併設された野球場で試合をする、そうした場面では硬球は使えません。硬式野球というのは、あくまでしっかりネットを張り、選手以外がグラウンドに入れないようにした専用の施設でないと危険なのです。そして、日本は「野球大国」であるにも関わらず、硬式野球のできる施設は極めて限定されています。高校の専用グラウンドか、河川敷など一部の野球場だけなのです。リトルの場合は、大人の野球よりもダイヤモンドが狭いので、より専用の施設が必要ということもありますが、それ以前の話として硬球を使ったキャッチボールをする場所もないという事情が大きいのだと思います。
その点では、少子化により学校施設には余剰が出てきていますし、地価も下落しています。今、改めて日本全体として野球関連施設のインフラ整備、そして少年野球の硬式化とリトルの拡大による硬式野球の「裾野の拡大」ということに取り組めないでしょうか? 小さなうちから硬球に親しめば、硬球の手応えを通じた「野球への愛」もより深くなるように思うのです。一昨日はドジャースの黒田博樹投手が好投して心意気を見せてくれましたし、日本野球はまだまだアメリカでの存在感を保っています。どんなに世の中が変わっても、野球だけは日本で楽しくプレーがされ、楽しく観戦され、そして世界の一流の水準を保ってもらいたい、心からそう思います。
保守派に「ジャック」されたキング牧師演説記念日
8月28日の土曜日は、1963年に黒人指導者で公民権運動家のマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が、ワシントンで行った「私には夢がある」演説の47回目の記念日でした。この演説では、特に次の一節が有名です。
"I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of brotherhood."
「私には夢がある。いつの日か、ジョージア南部のレッドヒル地方で、その昔の奴隷の子孫とその昔の奴隷所有者の子孫が、共に兄弟愛というテーブルに就く日が来ることを。」
1963年の時点までずっと、キング牧師はアラバマ州で黒人の人権をめぐる非暴力闘争を指導していました。特にこの年は、デモ隊に対する警官隊の激しい弾圧の中、キング師自身が4月には逮捕拘留されるという事態も起きています。ですから「アラバマ州で」という露骨な言い方をするのは、自身の「寛容、非暴力」の信念に照らして避けたのでしょう。
実は、レッドヒル地方という丘陵部は、キング牧師の故郷であるジョージアから州境を越えてアラバマまで続いているのであり、キング牧師の思いの念頭には「アラバマ」があったのは明らかです。それを「ジョージアのレッドヒル」という言い方をすることで、オブラートに包みながらアラバマでの黒人人権をめぐる闘争の和解を訴えたところに、この演説のリアリティがあるのだと思います。ちなみに、2009年のオバマ大統領の就任演説を聞いた多くの人は、「キング牧師の夢」が実現したと実感し、歓喜の表情を浮かべていました。黒人の多くはそうでしたし、白人の中でもリベラルな感性を持った人々も同じでした。
その「神聖な」8月28日のワシントンで、キング牧師が演説した同じリンカーン記念堂の前で大きな集会が行われました。ですが、今年の集会は黒人の人権を訴えるものではありませんでした。仕掛け人は、FOXニュースで「オバマはレイシスト(人種差別主義者)」だと叫び続けて、草の根保守の間でカリスマになっているTV司会者のグレン・ベック、そしてゲストには「ティー・パーティー」のマドンナ、サラ・ペイリン女史まで登場したのです。
ベックの企画はかなり考えられたもので、イベントには「一切政治色を反映させない」という方針が貫かれ、例えば政治スローガンを掲げたパネルを持って参加することは固く禁止、またベックもペイリンも演説ではほとんど政治的な話題には触れなかったのです。その代わりに彼等は、「アメリカ人は信仰に立ち返れ」ということと「アメリカはアメリカの誇りを取り戻せ」そして「特に我々の国を防衛した兵士への尊敬を」という抽象的なスローガンを繰り返したのです。確かにキング師はキリスト教(それもサザン・バプテスト)の聖職者であり、信仰と愛国というのはキング牧師の信念とは矛盾しないという論法です。
ですが、CNNの報道によれは参加者はほぼ100%が白人であり、保守派の集会であったのは間違いないようです。またこの集会に対抗するために、黒人指導者アル・シャープトン師の主宰する「キング牧師記念集会」が同じワシントンの別の場所で開かれており、キング牧師の演説の記念日そのものが「分裂」したという報道もありました。キング牧師ゆかりのリンカーン記念堂前を白人の保守派が「ジャック」してしまい、「本家」の黒人とリベラルはイベントを別の高校の敷地内で行ったことに憤慨している人もいるようです。
では、ベックとペイリンは国民的英雄である「キング牧師」の名声を「ジャック」したのでしょうか? つまりキング牧師の黒人人権闘争の正統性を横取りするような形で、白人保守派の勢力誇示に使ったのでしょうか? 恐らくはそのような計算があったのでしょう。であれば、何とも「奇策」という感じです。というのは、グレン・ベックがいつも主張している論法は次のようなものだからです。黒人が大統領になって権力を行使している中で、今でも貧困層を中心に黒人には手厚い福祉が与えられている、だが白人の貧困層にはそうした福祉もなければ自尊心も打ち砕かれたままだ、にもかかわらず白人が権利主張をすると、「その昔の奴隷所有者の子孫」だとして蔑視と屈辱を受ける、これは人種差別であり到底許せない・・・だから「オバマはレイシスト」なのだ、というロジックです。
そして、その「言い切り姿勢」がベックを草の根保守の間でカリスマにしています。そのベックが、キング牧師の精神を継承すると言うのですから、何とも荒唐無稽と言うべきでしょう。それでもベックのレトリックが説得力を持ってしまうのは、もしかしたら、1963年に黒人のキング牧師が持っていた「被害者の正義」を、今は「オバマ政権に見捨てられている白人草の根保守」が持っている、ベックやペイリンはそんな感覚を強く持っているのかもしれません。もう1つは、反権力というセンチメントです。1963年にワシントンの連邦政府に対して公民権法の制定を訴える、そのためにリンカーン記念堂前に20万人を集結させたというのは、一種の反権力運動です。47年後のベックとペイリンは「肥大化した連邦政府への反抗」という意味で、同じような反権力の姿勢を訴えたというわけです。
別の問題もあります。ペイリンはともかく、かつては宗教色の薄かったベックがやたらに信仰の話を持ち出すのには、現在進行形のトラブルになっているNYでの「グラウンド・ゼロ近隣のモスク建設問題」への反対ということ、そしてオバマがイスラム教徒の息子であることを改めて非難の材料にしようという意図も見え隠れしています。いずれにしても、今回の「記念日ジャック」はメインストリームのリベラルのメディアにはかなり叩かれていますが、依然として根深い草の根保守の「反オバマ」心情を象徴したものと言えるでしょう。共和党内には、この草の根保守と伝統保守の間に協調が見えてきていますが、仮にそうだとしても、こんなイベントをやっているようですと、民主党との対決は、例えば11月の中間選挙では泥仕合になりそうです。
ティー・パーティーと保守本流に協調の気配、危うしオバマの民主党
8月24日の火曜日は、11月の中間選挙へ向けての重要な予備選がいくつかありました。中でも注目されたのは、サラ・ペイリン女史の「お膝元」であるアラスカ州の共和党上院議員候補予備選です。現職のリサ・ムコウスキー上院議員に対して、ペイリン率いる「ティー・パーティー」はジョー・ミラーという陸軍士官学校出身の弁護士をぶつけています。ムコウスキー議員に関しては、父親がペイリンの前のアラスカ州知事(同じ共和党)で、ペイリンが知事候補になった際の2006年の予備選では、ペイリンと激しい選挙戦を戦った相手です。自分が勝ったにしても遺恨は残る選挙戦であり、その恨みは娘にまでということ、そしてリサ議員がワシントンの上院で行っている政治活動が「十分に保守的ではない」ということで、ペイリンのミラー候補への肩入れは大変なものでした。
そのアラスカの予備選ですが、実は本稿の時点では結果は出ていません。現時点ではミラー候補が先行しているのですが、不明票が8000票ぐらいあり、結論が出るまで時間がかかるようなのです。ですが、このまま仮にミラー候補が勝利するようなことになると、「ティーパーティー」が現職を引きずり下ろすことになり、大変な注目が集まっています。
一方で、同じ24日にはアリゾナ州の共和党上院議員候補の予備選もありました。このアリゾナ州というのは典型的な「レッドステート(共和党の強い州)」で、共和党の予備選に勝つことは、そのまま上院の議席を意味します。特に今回改選の議席は、前回の大統領選で共和党の統一候補となったジョン・マケイン議員が過去4期(24年)守っており、その勝利は磐石のはずでした。ところが、この欄でも何度かお伝えしたように、「ティー・パーティー」グループが、ここに対立候補を立ててきたのです。元下院議員で、ラジオの保守系キャスターをやっているこのJ・D・ヘイワース候補は、出馬表明以来、全国的な話題を呼んできました。ヘイワース候補もミラー候補同様に「マケイン議員は真正保守ではない」として激しく攻撃を続けたのです。
特に問題になったのが、不法移民問題でした。アリゾナといえば、連邦政府との間で違憲論争となった「不法移民を職務質問で逮捕できる」新法で揺れた土地柄です。ところで、この移民問題ですが、マケイン議員は長年共和党の中間派として、例えばブッシュ前大統領(移民に関しては終始穏健な姿勢でした)と共に、現在不法滞在状態にある移民の合法化を進める制度を提案するなど、穏健な行動派で鳴らしていたのです。こうした「過去」、そして妊娠中絶や生命倫理に関して中間派であることなどが、徹底的に攻撃されたのです。
これに対して、マケイン候補は「なりふり構わず」というスタンスに突き進みました。まずアリゾナで最も微妙な問題である「移民問題」については、穏健派の過去をかなぐり捨てて、悪名高い州の「新法」を支持に回りました。また、ヘイワース候補への対抗策としては、徹底的な「ネガティブキャンペーン」を続けたのです。その方法も巧妙でした。ヘイワース候補は「未熟」であるとか「外交には無知」といった資質への疑問よりも、利権誘導の過去があるとか、悪質なロビイストとつながっているというような「具体的」なスキャンダルの材料を徹底的に流したのです。一つ一つの「ネタ」は大したことはなくても、効果は明らかでした。どうして「資質攻撃」を抑えたのかというと、「ベテラン政治家」としての「上から目線」という姿勢は草の根保守には逆効果だという計算があったのではと私は見ています。
驚いたのは、投入した「カネ」の凄さです。TVコマーシャルを中心としたネガティブキャンペーンのお値段は「20ミリオン(17億円)」、これをアリゾナ1州で投入したのですから、効果がないはずがありません。ヘイワース候補は敗戦の弁として「私には20ミリオンというカネは手が届かなかった。それだけです」と語っていました。もっとも、マケイン議員の政治資金はおそらくは夫人の保有するビール販売会社の経営権から来た「自前の」もので、後ろ暗いカネではないと思いますが、何とも後味の悪い選挙になってしまいました。
実はマケイン議員の勝利にはもう1つ秘密があります。というのは、問題のサラ・ペイリン女史を敵に回さなかったということです。マケイン=ペイリンのコンビは、2008年の大統領選を一緒に戦ったのですが、その後大ベストセラーになったペイリンの自伝『ならず者で行こう(ゴーイング・ローグ)』の中に、選挙戦を通じてマケイン陣営からペイリンは「徹底して見下されていた」という記述があり、その結果としてペイリンのコアなファンからはマケイン議員は「目の敵」にされていたのです。ですから、ヘイワース候補が彗星のように現れた時には「俺達のペイリン姉御をバカにした爺さんを引きずり下ろせる」というような期待感(?)が「ティー・パーティー」の間にあったのは事実なのです。
ですが、マケイン議員が狡猾なのか、ペイリンが大人なのか、あるいは共和党の内部でそうした力学が働いたのか分かりませんが、ペイリンは間接的にマケインを支持、結局は「ティー・パーティー系」であるにも関わらず、ヘイワース候補には加担しなかったのです。この辺りには、マケインの勝因という意味だけでなく、大きく見れば、11月の中間選挙に向けて、マケインを典型とする「穏健なクラシック共和党」と「ティー・パーティー」が分裂選挙ではなく、少しずつ協調を始めたという気配が感じられます。これはオバマの民主党に関しては大変な脅威です。
それにしても、日本の政局と比べると、アメリカの方は分かりやすい構図です。今回の菅=小沢の対決は、背景も含めて極めて分かりにくいのですが、アメリカの場合は古典的な「小さな政府」と「大きな政府」の軸が良くも悪くもまだ健在だからです。
そのアメリカの政局ですが、全く褒められないのはネガティブ・キャンペーンという悪弊です。このムードがそのまま、民主対共和の本選に持ち込まれ、それこそ移民問題や、「グラウンドゼロ」近隣のモスク問題など「ガチンコのイデオロギー衝突」が、仁義なき中傷合戦として行われるようですと、アメリカ社会は疲弊します。11月の中間選挙は、何と言っても財政に関する健全な政策論で選挙戦が戦われることを期待したいものです。
危うし、アメリカ「生卵」事情
アメリカ人は卵料理が大好きです。料理だけでなく、卵のたっぷり入ったお菓子やアイスクリームなど、とにかく卵なくして、アメリカの食生活は考えられないと言って良いでしょう。ですが、卵との付き合い方で、日本とは決定的に異なる点が1つあります。それは「生卵」に対する警戒心です。社会常識として「生卵は危険」というのが一般的になっており、事実、そのものズバリの生卵を使った料理はあまりありません。また、州によって多少規制が異なりますが、基本的にレストランでの生卵の提供は禁止されている地区が多くあります。私の住んでいるニュージャージー州でも、レストランでの「生卵」は禁止です。
さて、今月のアメリカではアイオワ州の2つの業者が出荷した卵がサルモネラ菌汚染を起こしているということで、5億個の卵を回収するということになり、大騒ぎになっています。健康被害も出ており、例えばウィスコンシン州のレストランでは、20数名の食中毒患者が出ているそうですし、家庭での食中毒も報告されています。
では、日本と比較すると「生卵」を食べる習慣が少なく、警戒心のあるはずのアメリカで、どうして卵サルモネラ中毒がこれだけ広がっているのでしょうか? どうやら、調べてみるとアメリカの食生活にも「生卵」が知らず知らずのうちに入り込んでいるようなのです。まず、一番多いのが「目玉焼き」です。日本では目玉焼きというと、黄身が上でキレイに丸く形を留めている片面焼き(サニー・サイド・アップ)のことを思い浮かべますが、アメリカでは一度裏返した両面焼き(オーバー・イージー)というのも多いのです。
片面焼きで半熟というのが危ないのは分かりますが、FDA(食品薬品局)がPRしているのは、両面焼きなら安全とも言えないというのです。というのは、この「オーバー・イージー」を好きな人は両面をサッと焼いて、一応黄身も暖かくなっているがドロリとしている状態が大好きで、特にそのドロリとした黄身をトーストに付けて毎朝食べているのです。FDAは今回の食中毒事件では、この「オーバー・イージー」の「黄身ドロリ」も危険だと警告しています。後は、ヨーグルトドリンクに生卵を混ぜて飲むクセのある人が危ないそうです。
レストランで指摘を受けているのは、意外だったのですが、手作りの「シーザー・ドレッシング」が危ないのだそうです。シーザー・ドレッシングというのは、オリーブオイルにニンニクの風味とパルメザンチーズを混ぜたもので、アメリカのサラダには欠かせないものですが、スーパーで売っている瓶詰めのものには余り良いものはなく、レストランごとに味が違うのです。それぞれのレシピで手作りをしているからだそうで、アンチョビのエキスを入れるとか、スパイスに良いものを使うという以外に、最高級店では「生卵」をコッソリ混ぜているのだそうです。中には「生」はまずいからと、少しだけ熱湯につけた超半熟状態のものを混ぜる店もあるそうです。
今回の騒動では、そんなわけでオーバー・イージーも、シーザー「生ドレ」もダメということで、アメリカの食生活が更に貧困になりそうなイヤなムードがあるのですが、ちなみに被害の出ている州は中西部から太平洋岸に集中していて、東部では問題が出ていないのです。これはどうしてかというと、日本の一流卵メーカーがアメリカ東部には本格進出していて、自社農場だけでなく、アメリカのブランド農場の買収も行って、日本流の品質管理を施した卵の流通で成功しているからです。例えば、ニューヨーク州では卵のマーケット全体の50%以上が日系になっているそうです。
そうは言っても、現在では、西から徐々に「卵アレルギー」的な雰囲気が広がっており、せっかく日系の農場が安全性の向上を実践しているにも関わらず、今のところは「卵は良く火を通して」という「空気」をガマンするしかなさそうです。100%安全なはずのここニュージャージー州でも、スーパーの卵売り場には「当店の扱っている卵は全て安全です」という張り紙がしてありましたが、心なしか卵はいつもより売れ残っているように見えました。
本当は日本食ブームに乗っかって「卵かけご飯」であるとか「温泉卵」や「半熟の味玉」、あるいは「すき焼きに生卵」(いずれも現在はレストランでの提供は禁止)などが普及すると面白いのですが、当面は難しいでしょう。今回の事件を教訓に、しっかりした検査体制が出来て、それこそ日本の農場が実践している安全管理が普及して、全米で「完全に火を通さない卵料理のバリエーション」が楽しめるようになる日が来れば良いと思うのです。
ところが、11月の中間選挙を前に、何でも政治問題化するピリピリしたムードのアメリカでは、この「卵の安全」についても、イデオロギー論争のネタになってしまっています。NBCの番組で、クリントン政権の労働長官を務めたロバート・ライシュ博士が出てきて「今回の汚染卵の発生源は、実は同じ人物が経営している2つの農場」だとした上で、このジャック・カスターという農場経営者が、排水の汚染や検査への非協力、あるいは労働法違反やセクハラなど様々な「法令違反」の過去があると暴露、その上で「こうした自営業者の利害に乗って安全管理に関する規制を妨害した勢力」を非難していました。要するに、サルモネラ中毒の背後には共和党の自営業者保護と規制緩和がある、と言わんばかりのコメントです。
そんな中、この火曜日の深夜には「ティーパーティー」がらみの重要な予備選がいくつか結果が出ます。こちらは結果が出てから改めてお話することにしますが、とにかく卵の安全性以前に、景気と雇用そして財政を争点に、秋の訪れと共に中間選挙へ向けて熱い政治の季節がやって来ました。

