コラム

オバマ時代になってかえって難しくなった人種問題

2010年07月23日(金)11時20分

(編集部からのお知らせ:このブログの過去のエントリーが加筆して掲載されている冷泉彰彦さんの著書『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』〔阪急コミュニケーションズ〕が発売されました。全国の書店でご購入ください)

 史上初の黒人大統領として、バラク・オバマがホワイトハウス入りしたことで、アメリカの人種問題はほとんど解消したような印象を与えたのは事実です。実際に、2009年1月の就任式の際には、白人と黒人が手を取り合って喜ぶ、そんなシーンが報道されたものです。白人が「黒人大統領を選んだ自分たちを少しは誇って良いのでは?」と問いかけると、黒人が「イエス」と答える、そんな光景もありました。

 それから1年半、事態は思うようには進んでいないようです。むしろ、オバマという黒人大統領の登場により、問題が複雑化したとも言えるのです。今週は、そうした「オバマ時代の人種問題」を象徴するような事件がありました。他でもない、連日ニュースのトップ扱いになっている、米農務省の黒人女性官僚の解雇取り消し事件です。シャーリー・シェロッドという黒人女性の官僚が、「白人に対する露骨な人種差別」の発言をしているというビデオが発言の字幕付きで保守系の人物によりその人物のブログに掲載されたのですが、この「スキャンダル」は24時間でアッと言う間に広まり、例えばFOXニュースのビル・オライリーなどは口を極めてシェロッド女史を非難したのでした。

 問題のビデオの内容ですが、農政の仕事の中で困窮農民の救済を担当していた同女史は「全米黒人地位向上協会」(NAACP)での講演で「白人の男性から農地差し押さえを
受けそうだという相談を受けたが、真剣に対応しなかった」と語ったというのです。その部分だけを見れば「白人」というだけで敵意を感じ、差別的な対応をしたように見えるわけで、農務省としては「これはマズイ」ということでシェロッド女史を解雇してしまったのでした。ところが、シェロッドさんサイドの取材をしていたNBCなどがすぐに報道したところでは、問題のビデオは悪質な編集をされたもので、差別的に見えた部分はシェロッドさんが講演の中で「引用」した部分であり、実際はその相談者の白人老夫婦はシェロッドさんの措置に感謝しているというのです。

 ホワイトハウスは、慌ててギブス報道官やビルザック農政長官に「平謝り」をさせる一方で、シェロッドさんには復職をオファーしていますが、本人は本稿の時点では態度を保留しています。「私はもっと根深いものを感じているんです。史上初の黒人大統領に解雇された史上初の黒人官僚という妙なエピソードを孫の代まで語り継ぐのはイヤ」というシェロッドさんの22日朝の発言(NBC)から受けた印象では、彼女は相当に怒っているようですが、それも当然と言えるでしょう。

 問題は、オバマ大統領が登場したことによって、白人と黒人が「ある意味で本当に平等に」なってしまったことにある、妙な言い方ですが、私はそう見ています。数年前までは、例えばオバマ大統領が若いときに交際していた「ラジカルな」黒人牧師のジェレミア・ライト師のように「白人=加害者」として「黒人=被害者」が糾弾するという構図はある種「許される」ことが多かったのです。ですが、オバマが大統領に上り詰める過程で、いみじくも「ライト師との過去」を切り捨てたように、こうした姿勢は許されなくなって来ているのです。

 今では、白人のことを「単に肌の色だけを理由にして」奴隷所有者の子孫だと糾弾したり、不利に扱ったりすることは「レイシスト(人種差別主義)」という非難を浴びることになりました。そこには、オバマが大統領になって差別が消えたという漠然とした感覚を背景にして、「生まれながらにして白人=差別者の汚名を着せられるのは理不尽」という保守系白人の被害感情を核に持った「ティーパーティー」の存在感など、様々な要素が入り組んでいるように思います。

 この問題に関しては、最終的にオバマ大統領がシェロッドさんに直接謝罪したようですが、こうした行動が度重なると、今度は「ティーパーティー」系の人々が「やっぱりオバマは白人敵視」などと勘違いしそうな気配もあります。ライト牧師の問題の時は、こうしたトラブルを乗り越えてオバマが大統領になれば、人種問題は解決に向かうだろうと多くの人が思っていたのですが、なかなかどうして上手くいっていないわけで、そんな中、オバマ大統領の求心力は綱渡り状態になっています。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、米指標が労働市場減速を示唆

ビジネス

ディスインフレ進行中、「相当な」不確実性が存在=S

ビジネス

USスチールは米にとどまるべき、バイデン氏の方針変

ビジネス

米国株式市場=ダウ7日続伸、米指標受け利下げ観測高
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必要な「プライベートジェット三昧」に非難の嵐

  • 2

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽しく疲れをとる方法

  • 3

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 4

    上半身裸の女性バックダンサーと「がっつりキス」...…

  • 5

    ロシア軍兵舎の不条理大量殺人、士気低下の果ての狂気

  • 6

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 9

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 10

    自民党の裏金問題に踏み込めないのも納得...日本が「…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 4

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食…

  • 9

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 10

    翼が生えた「天使」のような形に、トゲだらけの体表.…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story