コラム

NYのユダヤ人の上流社会に食い込もうとする悲喜劇、『嘘はフィクサーのはじまり』

2018年10月26日(金)16時35分

一見、現代の悲喜劇だが・・ (C)2017 Oppenheimer Strategies, LLC. All Rights Reserved.

<リチャード・ギアが、ユダヤ人の上流社会に食い込もうとするしがないフィクサー(仲介者)を演じている『嘘はフィクサーのはじまり』は、ただの悲喜劇ではない>

イスラエルのヨセフ・シダー監督にとって初の英語作品になる『嘘はフィクサーのはじまり』では、リチャード・ギアがあの手この手でユダヤ人の上流社会に食い込もうとするしがないフィクサー(仲介者)を演じている。その主人公ノーマン・オッペンハイマーの生き様は滑稽であると同時に悲哀を滲ませるが、これはただの悲喜劇ではない。

典型的な"宮廷ユダヤ人"の物語が土台になっている

「最初の一歩」、「賭けるべき馬」、「名もなき支援者」、「平和の代償」という四幕で構成されたドラマは、典型的な"宮廷ユダヤ人"の物語が土台になっている。宮廷ユダヤ人とは、中世ヨーロッパで君主や貴族のために資金調達や運用を行ったユダヤ人の銀行家や金融業者のことを意味する。

第一幕では、ノーマンが、その名声を利用するために訪米中のイスラエルのカリスマ政治家ミカ・エシェルに接近し、最高級の靴を贈り、信頼を得る。第二幕はその3年後、イスラエル首相に大出世したエシェルが訪米し、再会したノーマンを友人のように抱きしめ、すべてが変わる。ノーマンは、中世のように宮廷に招き入れられる代わりに、"ニューヨークのユダヤ人名誉大使"という肩書を与えられる。

第三幕では、願ってもないお墨付きを得たノーマンが、ユダヤ人の大物たちの間で暗躍していく。だが、彼の軽率な判断が混乱を招き、第四幕では、イスラエル首相を守るために、側近たちが、もともとアウトサイダーだった怪しいフィクサーを排除しようとする。

この映画は、設定を現代に置き換えて、典型的な宮廷ユダヤ人の物語をなぞっているだけではない。シダー監督は、特に18世紀のドイツに実在した宮廷ユダヤ人ヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマーを意識して、脚本を書いている。主人公の姓オッペンハイマーは明らかにそこからとられている。

18世紀のドイツに実在した宮廷ユダヤ人を意識

ヘルムート・G・ハージスの『消せない烙印 ユート・ジュースことヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマーの生涯』の巻頭に収められた日本の読者に向けた著者のメッセージには、以下のような興味深い記述がある。

「ユダヤ教徒の銀行家ジュース・オッペンハイマーは、一七三八年シュトゥットガルトの絞首台に吊るされた。この時から数えて間もなく二七〇年になる。だがドイツで彼の名は今日に至るまで忘れられていない。なぜなのだろう。それには二つの理由がある。一つは、この司法の犠牲者に名誉回復がまったくなされていないことにある。借りが残っているため人びとは安らぎを見出せないのだ。いま一つの理由は、ナチスの憎悪がいまだにこの人物に付着していて消し去ることができない点にある。『ユート・ジュース』という差別的な呼び名が今日まで根絶されぬまま残っている[日本語では『猶太(ユダ)公』くらいの意]。(後略)」

第一の理由の名誉回復とはなにを意味するのか。ジュースはまだ陸軍元帥だった王位継承者カール・アレクサンダーに出会い、後にヴュルテンベルク公となったカールに宮廷ユダヤ人として仕えた。だが、公爵が急死すると、逮捕され、大逆罪で裁判にかけられ、処刑された。本書によれば、ジュースは公爵と敵対する枢密顧問官たちに汚名を着せられ、陥れられた犠牲者ということになる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米新規失業保険申請、20万8000件と横ばい 4月

ビジネス

米貿易赤字、3月は0.1%減の694億ドル 輸出入

ワールド

ウクライナ戦争すぐに終結の公算小さい=米国家情報長

ワールド

ロシア、北朝鮮に石油精製品を輸出 制裁違反の規模か
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 8

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 9

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 10

    「みっともない!」 中東を訪問したプーチンとドイツ…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story