- HOME
- コラム
- From the Newsroom
- 「イクメン」は日本を救えるか
コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
「イクメン」は日本を救えるか
東京・世田谷に住む犀川弘道(44)は8年前、長男が生まれて半年経った時に6カ月間の育児休暇を取った。当時、育児休暇を取得し長期間子育てに専念する男性はもう珍しくなかった。ただ犀川のケースが異例だったのは、その勤務先だ。
犀川が牧師をサポートする事務主事として勤務していたのは、キリスト教のプロテスタント系教会だった。家族愛を説く教会なら、父親の育児休暇取得にも理解がある、と考えたくなるが、進歩的とされるプロテスタント教会でも、実は「夫は仕事、妻は家庭」という価値観が日本では根強い。犀川の育児休暇も、信者全員から大きな拍手で受け入れられたわけではなかった。
「父親が子供好きで、母親が仕事好きな家庭があってもいいはずだ」と、犀川は言う。「古い教会の価値観に対する反発心から、育児休暇を取った部分もあった」
キリスト教の教会でも男性の育児休暇が認められるほど、日本社会の父親の子育て・家事への参加に対する認識は広まりつつある。ただ認識が広まることと、理解が深まることは別だ。
日本政府が2010年に啓発イベント「イクメンプロジェクト」をスタートしたのは、父親の家事・育児への参加に対する認識は広まっても、理解が一向に深まらない日本社会の現状が背景にある。少子高齢化の進行で、日本の労働人口は今後、確実に減り続ける。女性の労働力を生かすためには、その最大の問題である出産・子育てによる離職を防ぐ必要がある。それには「父親の家事・育児参加=イクメン」が必要――という訳だ。
ただこのイクメンという言葉、育児の現場ではあまり評判はよくない。「物事を単純化しすぎる。共働きで子育てしないといけない状況をちょっと小馬鹿にしたニュアンスも感じられる」「国が音頭を取ってやろうとするところが疑わしい」と、家事や育児に積極的な父親からも、そうでない父親からも手厳しい評価を受けている。
そんな批判をものともせず、日本政府は14年度からイクメンを国が育成する一大プロジェクトに乗り出す。育児経験のある男性の自治体職員を集めて企業や地域向けの「イクメン相談員」にしたり、企業経営者向け啓発セミナーを各地で開く計画だ。
ただ、イクメン相談員に話を聞いても、企業幹部がセミナーを受けても、父親の山積みの残業が減るわけではない。それに、「父親の育児のあり方」にただ1つの正解はない。家庭を犠牲にしても、すべてを仕事にささげてキャリアップし、50代でそれなりの役職に就いた方がいいのか、それとも働き方をセーブすることで、家庭と仕事の両立を目指す方がいいのか。それぞれ父親によって環境や価値観が違うから、正解も父親の数だけ存在する。
なのに、「イクメン」という言葉は共働きの父親を1つのカテゴリーに無理やり押し込めかねない。それは、一昔前の「日本の父親は家事などしない」という決め付けと何ら違わない。ただでさえ仕事と育児のはざまで苦しむ父親に、政府が旗振りをする「イクメン」という言葉が新たなプレッシャーを与えるのだとしたら、何とも皮肉なことだ。
「育児を夫婦の間でどう分担するかは、本人たちの選択の問題。無理やり育児をさせるものではない」と、法政大学で仕事と育児の両立について研究する武石恵美子教授は言う。「一方で育児をしたい、という男性が育児をできる環境を整備することも重要だ」
少子高齢化で労働力が否応なく減る日本社会にとって、男性の育児参加で女性の社会進出を促すことは必要不可欠だ。ただ理想を無理やり押し付ければ、不毛なイクメン論争ばかりが繰り返される。それぞれが納得できる「妥協点」を見つけて初めて、男の育児を社会全体の活力につなげることができるはずだ。
もちろん、育児参加を望む父親が母親に協力しやすい環境をつくる必要はある。多くの日本企業では、男性社員は終業後も残業できる体制になっているのが当然、といまだに受け止められている。職場の中心を担う男性職員が休むと簡単に補充が効かず、ほかの社員の負担も増えるから、育児休暇の取得にも冷淡だ。
企業の人事制度を見直すのも、1つの方法かもしれない。多くの日本企業は人事部が一括して採用や給与を管理しているため、産休・育休の欠員補充や、欠員によって生じた残業分の給与増、といった動きが現場レベルでは実感しにくい。
これをドイツ企業などのように各職場単位に「分権」すれば、欠員補充や給与増額といった動きがより可視化される――法政大学の武石はこう指摘する。「産休・育休の社員の分だけ働けば、その分給料が増える」と目に見えて分かれば、職場の納得を得やすくなる、という訳だ。
残業こそ美徳、という考え方も改めるべきだろう。経済協力開発機構(OECD)によれば、11年の労働時間あたりのGDPで日本はアメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、イタリアに次ぐ最下位だった。効率を上げれば、父親が育児や家事に割ける時間はおのずから増える。
大半の日本企業は出産・育児に伴う退職リスクのせいで、女性への育成投資に尻込みしている。その結果、男女間の賃金格差は縮まらず、男性は残業で会社に縛りつけられ、女性は家事・育児で家庭に縛りつけられる......という状況が固定化してしまう。
終身雇用制がまだまかり通っている現状では、どんなに能力がある女性もいったん退職すると、次の就職の選択肢はパート労働になる。いったん退職しても、女性社員が育児のめどが立った数年後に、以前と同じ条件で再雇用できれば、「男性=会社、女性=家庭」という固定化は避けられるはずだ。
「イクメン」論争は、硬直化した日本の労働・雇用環境を変える可能性をはらんでいる。もしそうなるなら、このあまり評判のよくない言葉にも存在意義はあるのだろう。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
※累計130万部のベストセラーNewsweek日本版別冊『0歳からの教育』の最新2014年版『育児のすべて』が、11月15日に全国の書店で発売になります。デジタル版も同時発売です!
この筆者のコラム
COVID-19を正しく恐れるために 2020.06.24
【探しています】山本太郎の出発点「メロリンQ」で「総理を目指す」写真 2019.11.02
戦前は「朝鮮人好き」だった日本が「嫌韓」になった理由 2019.10.09
ニューズウィーク日本版は、編集記者・編集者を募集します 2019.06.20
ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか 2019.05.31
【最新号】望月優大さん長編ルポ――「日本に生きる『移民』のリアル」 2018.12.06
売国奴と罵られる「激辛トウガラシ」の苦難 2014.12.02