コラム

救命医療を待つ間に「消える命」が週300人近く...「揺りかごから墓場まで」福祉国家イギリスに何が起きている?

2024年04月02日(火)18時41分

「死亡の1つひとつが単なる数字ではない」

「これらの死亡の1つひとつが単なる数字ではなく、愛する人や家族のものであったことを忘れてはならない。もし状況が違っていたら、もしシステムが本来の機能を果たしていたら、もしA&Eでの待ち時間が目標時間よりも長くなかったら...」(ボイル会長)

「このような困難で受け入れがたい状況の中で、可能な限り最善の医療を提供しようとする現実に対処しなければならない臨床医を取り巻く環境もひどい。関連死の数字が注目されるのは当然だ。政府の改善計画は効果的でなく、結果も出ていない」(同)

「必要なのは困難な状況に陥っているシステムと闘う臨床医と、多額の投資と救急救命医療を蘇生させるコミットメントだ。このようなケアの不平等、本来なら回避できたはずの診療の遅れ、膨大な関連死を放置することはできない」(同)。王立救急医学会は次の勧告を掲げる。

(1)医療・社会ケアシステム内にさらなるキャパシティーを構築する長期計画を実施(2)病院のベッド稼働率が85%を超えないよう有床診療所を増設(3)病院のパフォーマンスを向上させるため各病院の数値を公表(4)インフルエンザ、コロナのワクチンプログラムを改善する。

がんを早期発見できたキャサリン妃はまだ幸せ

エビデンスと分析を通じて英国の医療の改善に取り組むナフィールド・トラストの政策アナリスト、マーク・ダヤン氏は昨年2月、EU離脱がNHSに与えた影響を分析している。それによると、NHSイングランドの予算は2016年以降、毎週3億5000万ポンド以上増加している。

人口と高齢者が増えているからだ。「英国で資格を取得したEU域外の医師の数はEU国民投票後の6年間で7万2000人から11万2000人に、看護師の数は6万7000人から12万4000人に増加した。EU域内の自由移動とは異なり、域外ビザには技能や給与の要件が課せられる」という。

慢性的な低賃金、人員・資金不足に陥る社会福祉セクターの状況は悪化した。心臓外科医、肺外科医、麻酔科医、精神科医も不足している。英国の医薬品輸入の異常な減少はEU離脱後の貿易障壁が要因である可能性を示唆しているとダヤン氏は分析する。

腹部手術を受け公務から離れているキャサリン皇太子妃が、がんで2月下旬から予防的な化学療法を受けていることを告白し、英国中の同情を集めた。しかし待ち時間ゼロのプライベート医療でがんを早期発見できたキャサリン妃はまだ幸せと言わざるを得ないのが英国の現状だ。

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プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

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