コラム

孤独なトラック・テロリストの暴走、職質警官が見逃す──イスラムと西洋の対立尖鋭化の恐れ

2016年07月16日(土)09時00分

 ユダヤ食品店人質事件やパリ同時テロには過激派組織ISが関係していたが、今回は沈黙を守っている。トラック・テロの背景からは、10%台を推移する失業率やイスラム系移民に対する排外主義の高まりなど、荒んだ社会風潮が浮かび上がる。84人の命を奪ったチュニジア系移民の凶行がフランス社会の対立をさらに尖鋭化させるのは必至だ。

 英国が欧州連合(EU)からの離脱を選択した国民投票をめぐっても、残留を訴えた英労働党の女性下院議員ジョー・コックスさんがテロリストの凶弾に倒れた。2つのテロの表層は異なるが、欧州では不気味なマグマが動き始めている。

【参考記事】弱者のために生き、憎悪に殺されたジョー・コックス

長引く非常事態

 オランド大統領は15日未明のテレビ演説で「犯行からはテロリストの性質を否定できない」との見方を示し、滞在先の南部アビニョンから急きょパリに戻って緊急会議を招集した。パリ同時テロで宣言した非常事態は今月26日に解除される予定だったが、さらに3カ月延長された。

 ヴァルス首相も「フランスはテロには屈しない。しかしテロと生きることを強いられる時代に突入している」と警告を発した。この事件が西洋とイスラムの対立を煽らないことを祈らずにはいられない。

 世界金融危機に端を発する欧州債務危機と、その後の緊縮策で欧州に亀裂が走り、低所得者や失業者の心は荒んでいる。景気が悪くなったギリシャやスペインでは失業率が高まり、反EUの急進左派が躍進、逆にフランスやオランダ、英国では移民問題がクローズアップされ、反イスラムの極右政党やポピュリスト政党が台頭した。

 そして英国は平和と繁栄のプロジェクトであるEUから離脱することになった。欧州はまさに崩壊の危機に瀕していると言えるだろう。

 イタリアの画家アンブロージョ・ロレンツェッティ(1290~1348年)のフレスコ壁画の傑作に『善政の効果』と『悪政の寓意』がある。欧州の政治支配層は人心を失っている。EUの宮中であるブリュッセルでは「欧州は一つ」という理念ばかりが強調され、加盟各国の政治は求心力を失った。『悪政の寓意』が恐ろしい姿を現し、民に苦しみを与えている。

 いま、欧州の政治指導者はブリュッセルではなく、自国民の声に耳を傾けるべきだ。自国のために何が必要かを真剣に考えなければならない。EUの共通政策に手足を縛られ、対応が遅れれば遅れるほど、事態はさらに悪化していく。英国のEU離脱から学ぶことがあるとするなら、欧州の団結は一つひとつの強固な国家の上にしか成り立たないということだ。

プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

英賃金上昇率、1─3月は前年比6.0% 予想上回る

ワールド

プーチン大統領、16-17日に訪中 習主席と会談へ

ワールド

英当局、国家安保法違反で3人逮捕 香港長官「でっち

ワールド

焦点:ロシア新国防相は「ソビエト的」、プーチン氏盟
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 5

    年金だけに頼ると貧困ライン未満の生活に...進む少子…

  • 6

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 7

    アメリカからの武器援助を勘定に入れていない?プー…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    「人の臓器を揚げて食らう」人肉食受刑者らによる最…

  • 10

    ブラッドレー歩兵戦闘車、ロシアT80戦車を撃ち抜く「…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story