コラム
東京に住む外国人によるリレーコラムTOKYO EYE
21世紀の合言葉はハイブリッドJAPAN
今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク
先日、成蹊大学にオーストラリア国立大学のテッサ・モリス=スズキ教授の講演会を聞きに行った。そこで彼女は、現実から目を背けることなく、明確で希望あふれる2025年の日本と北東アジアの未来予想図を描こうと提案した。
その話を聞いて僕が考えたのは、21世紀の日本の「明確で希望あふれる」キーワードだ。そしてそれは、アジア杯で優勝したサッカー日本代表が教えてくれた。「ハイブリッド・ジャパン」だ。
日本でハイブリッドと言えば、車など技術面のイメージの方が強い。だが、この言葉の第1の意味は「雑種、混成」だ。
その意味で今回のサッカー日本代表は、ハイブリッドの格好のモデルケースだった。これをサッカーだけで終わらせず、大会での快挙を成功事例として、日本全体のシステムに適用すべきだろう。
日本代表の再スタートは鮮やかだった。ワールドカップ南アフリカ大会での善戦に慢心することなく、次を見据えてアルベルト・ザッケローニという素晴らしい外国人監督を迎えた。天才肌ではなく、緻密な理論と揺るぎない信念に基づく学者肌の指揮官を得たことで、日本の若い選手は大いに成長した。
一方の韓国が、協会の影響力が及びやすい韓国人監督にこだわり、史上最高のスクワッドと呼ばれるメンバーをそろえながらも、そこそこの結果しか出せなかったこととは対照的だ。
これが日本人監督なら、Jリーグでも確固たるレギュラーとは言い切れない李忠成をフル代表に選び、決定的な場面で使えただろうか。しかも、活躍できなければ○○人だからと揶揄され、「国賊」扱いされかねないリスキーな選手を。
韓国ネチズンも日本を称賛
僕が心底驚き、感動したのはチームメートの本田圭祐が李を「ただなり」ではなく「チュンソン」と呼んだこと。日本に帰化した在日コリアンでも、ルーツや民族性が否定されることなく個人として尊重されるチームだったのだ。「超日本人」たる本田の真骨頂だったとも言える。
こうしたハイブリッドな文化がチームに一体感をもたらし、ザックが強調した「団結力」につながった。日本サッカー史に残る華麗なゴールが生まれたのは、彼が韓国人だからでも、日本人だからでもない。彼の個人的な熱い思い、彼を信頼した監督の慧眼と勇気、国籍・民族を相対化できるヨーロッパでプレーするチームメートの存在、日本的な「和」の文化とグローバルスタンダードが織り成した、ハイブリッドなゴールだったのだ。
彼はインタビューでも、「自分」を強調した。それは「我」を強調したわけではなく、国家や民族より「私」を重視したいというメッセージだったのだと思う。
こうした代表チームの「ハイブリッド化」の背景には、日本サッカー界の文化と長年にわたる努力がある。フィリップ・トルシエやイビチャ・オシムなど有能で「日本思い」の外国人監督を招聘し、適切な強化試合と海外合宿を組み、コパ・アメリカ大会への参加など、韓国が羨むほどのサッカー行政を展開した。韓国のようにコネや学閥が選手の選抜や起用に影響を与えるという非民主的なこともなく、選手の帰化も積極的に推進した。
「李忠成を見棄てた韓国は3位、李忠成を受け入れた日本は優勝。この結果がすべてを物語る」。これはヤフー・コリアへの韓国ネチズンの書き込みだ。他にも、韓国社会の排他性と日本社会の寛容性を対比する声が多かった。これは、今後の日本のあり方を考える上で非常に重要な指摘ではないだろうか。
「ハイブリッド・ジャパン」というキーワードは、日本古来の歴史性とも合致するし、外圧の匂いがする「国際化」「グローバル化」より日本人には受け入れやすいかもしれない。確実に言えることは、外国人監督が完全には感情移入できそうにない「サムライ」より、斬新で強そうに見えるということだ。
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