コラム

住民虐殺、枯渇、ガス収奪......ロシアの爪痕をアラル海で見た

2018年09月29日(土)14時40分

アラル海の砂漠化で残された「幽霊船」(ムイナク) Bahtiyar Abdukerimov-Anadolu Agency/GETTY IMAGES

<遊牧民が古来大事にした湖をソ連は数十年で破壊した――砂漠を覆うのは悪臭と幽霊船、中ロに延びるガス管だった>

地球温暖化による環境変動が懸念されている。9月中旬、地図から消えてしまう前にアラル海を一目見ようと、筆者ら調査隊はウズベキスタンを旅した。

湖畔に近づくにつれて目と口を強烈に刺激する塩風が吹きすさび、辺り一面に死滅した貝類の山が広がる。悪臭で呼吸がままならず、滞在を切り上げた。

中央ユーラシアのトルコ・モンゴル系遊牧民は古くからこの湖を「アラル(多島)・テンギス(海)」と呼んで、こよなく愛してきた。アラル海周辺には遊牧民が残した古墳や石碑、王都の遺跡が分布し、遊牧民がこの地の主人だった歴史を物語っている。夏は天山山脈など冷涼な山岳地帯で過ごし、冬は暖かい湖畔にテントを張って、当時は塩水化が進んでいなかった湖水を家畜に飲ませていた。

アラル海の水源は天山山脈に源を発するアムダリア川とシルダリア川だ。河川に沿って無数のオアシスが点在し、都市が栄えた。紀元前からゾロアスター教が栄え、8世紀頃にイスラム教が伝播。19世紀後半に帝政ロシアに征服されるまで、アラル海は草原を潤し、遊牧民とオアシスの住民を養ってきた。

様子が一変したのは、20世紀のソ連設立後だ。ロシア人には古来数世紀にわたって遊牧民の支配下に置かれてきた歴史があり、共産主義者になっても遊牧民に対する敵視を捨てなかった。

健康被害と奇形のリスク1930~33年、ソ連はアラル海周辺で遊牧するトルコ系カザフ人に定住化を強制。暴力や弾圧に農業政策の失敗による飢饉や疫病が加わり、「大量虐殺」の様相を呈した。死亡したカザフ人は全人口の42%に当たる175万人に達し、家畜の頭数も9分の1に減少した。

定住民と化したカザフ人、それにソ連各地から強制移住させられたドイツ人と朝鮮人を動員し、大規模な自然改造が進んだ。特に外貨獲得の輸出品や軍用品にもなる綿花栽培を一気に拡大。50年代にはアムダリア川にカラクム(「黒い砂」の意)運河を建設し、ソ連内のトルクメニスタンに水を引き、77年には両河川の間に巨大なダムを建設して貯水した。

その結果、もともと約6万8000平方キロと、世界第4位の広さを誇っていた湖水は半世紀足らずで6分の1にまでに減少。年間約4万トンもあった漁獲量も80年代から衰退し、今では漁ができなくなった。91年にソ連が崩壊するまで、誰もアラル海の環境破壊に取り組まなかった。

干上がった湖底から塩が風に吹かれて草原に拡散し、動植物は絶滅して「死の砂漠」と化した。辛うじて残った住民には眼病や呼吸器系統の疾患など深刻な健康被害が出ている。また綿花畑に使われた農薬が地下水に溶け込み、奇形児が生まれるリスクを招いてもいる。

プロフィール

楊海英

(Yang Hai-ying)静岡大学教授。モンゴル名オーノス・チョクト(日本名は大野旭)。南モンゴル(中国内モンゴル自治州)出身。編著に『フロンティアと国際社会の中国文化大革命』など <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

韓国最大野党の李代表に逆転無罪判決、大統領選出馬に

ビジネス

独VWの筆頭株主ポルシェSE、投資先の多様化を検討

ビジネス

日産、25年度に新型EV「リーフ」投入 クロスオー

ビジネス

通商政策など不確実性高い、賃金・物価の好循環「ステ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 2
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取締役会はマスクCEOを辞めさせろ」
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 5
    「トランプが変えた世界」を30年前に描いていた...あ…
  • 6
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 7
    トランプ批判で入国拒否も?...米空港で広がる「スマ…
  • 8
    【クイズ】アメリカで「ネズミが大量発生している」…
  • 9
    老化を遅らせる食事法...細胞を大掃除する「断続的フ…
  • 10
    「悪循環」中国の飲食店に大倒産時代が到来...デフレ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 7
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    【クイズ】世界で2番目に「レアアース」の生産量が多…
  • 10
    古代ギリシャの沈没船から発見された世界最古の「コ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story