コラム

フランスがEUに差し伸べる「核の傘」? マクロン大統領の新たな核ドクトリン

2020年02月10日(月)21時15分

核のボタンを誰が押すのか

核抑止戦略をEUの共通政策とし、フランスの核をEU各国の防衛のために使用するとしても、その際の核のボタンを一体だれが、どういう状況判断(特に「死活的権益」侵害の判定)の下で、押すのかということを考えた場合、そこで思考停止とならざるを得ない。

核のボタン(およびそこに導く「死活的権益」侵害の判定)があくまでもフランス大統領の専有であるという前提の下では、フランス以外の国にとって拡大抑止(フランスの核の傘)を享受するということは、結局自国の運命をフランスに委ねるということを意味するのであって、それは決して受け入れられないことなのだ。そうだとすると、逆にフランスが自国の核のボタンを他国のために一部なりとも手放し、他国との共同決定を認める(核のボタンの共有)ということしかないが、そこまでフランスが踏み切るとは到底考えられない。

つまるところ、フランスによる拡大抑止(核の傘)の成立と、核抑止における「フランスの意思決定の自立性」とは、両立不可能ということだ。

マクロン大統領は、それを十分承知しつつ、そこまで行かないところで、何らかの中間的なフランス核の欧州化を考えているのであろうが、今回の新ドクトリンではそこが曖昧で、具体的な形は見えてこない。少なくとも、完全な意味でのフランス核の欧州化(拡大抑止と核抑止戦略の共通政策化)までは考えていないと見るべきだろう。

ところで、こうしたフランス核の欧州化の試みは、マクロン大統領が初めてではない。シラク大統領は1995年に「協調抑止」を提唱し、2006年にもフランスの「死活的権益」の概念は「ヨーロッパ諸国の増大する相互依存関係によって特徴づけられる世界のリズム」に従って変化するとの考え方を表明した。これを発展させ、シラクの後継者サルコジ大統領は2008年に、「共通安全保障における抑止の役割に関する開かれた対話」をEU各国に呼び掛けたが、いずれも芳しい反応は得られなかった。

その一方で、イギリスとの間では、後のランカスターハウス合意(英仏防衛協力協定)につながる戦略対話が進み、両国の間では、「一方の死活的権益が、他方の死活的権益が脅かされることなしに、脅かされるという事態はない」という共通認識に達したとされる。

そのイギリスを失ったEUの中で、マクロンのフランスは、前任者たちが成し遂げえなかったフランス核の欧州化を目指すという形になっているが、その道は険しいと言わざるを得ない。

まずは、イギリスとの間で進んでいた死活的権益の定義と認識の共有から始めていかなければならない。しかし、仮にそれがEUの一部の国と共有できたとしても、究極的には上述のように、核のボタンの共有を巡る難問が控えているし、それは回避するとしても、どこまで核抑止戦略を共通政策化できるかという点で一致するには困難を伴うだろう。

一方、EU各国の状況も厳しい。アイルランドとオーストリアは核兵器禁止条約の推進国であるし、ドイツ、オランダ、ベルギーには、反核の世論が根強い。フランスの核の傘が受け入れられる見通しは、決して明るくない。

プロフィール

山田文比古

名古屋外国語大学名誉教授。専門は、フランス政治外交論、現代外交論。30年近くに及ぶ外務省勤務を経て、2008年より2019年まで東京外国語大学教授。外務省では長くフランスとヨーロッパを担当(欧州局西欧第一課長、在フランス大使館公使など)。主著に、『フランスの外交力』(集英社新書、2005年)、『外交とは何か』(法律文化社、2015年)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

MAGA派グリーン議員、トランプ氏発言で危険にさら

ビジネス

テスラ、米生産で中国製部品の排除をサプライヤーに要

ビジネス

米政権文書、アリババが中国軍に技術協力と指摘=FT

ビジネス

エヌビディア決算にハイテク株の手掛かり求める展開に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 2
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃度を増やす「6つのルール」とは?
  • 3
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生まれた「全く異なる」2つの投資機会とは?
  • 4
    ヒトの脳に似た構造を持つ「全身が脳」の海洋生物...…
  • 5
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 6
    「不衛生すぎる」...「ありえない服装」でスタバ休憩…
  • 7
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 10
    レアアースを武器にした中国...実は米国への依存度が…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前に、男性が取った「まさかの行動」にSNS爆笑
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 8
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 9
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 10
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story