最新ポートランド• オレゴン通信──現地が語るSDGsと多様性
ポートランド発 ホワイトハウスへ『差別とヘイトを越えた』真の多様性
| 米国初の「ダイバーシティー(多様性)& インクルージョン(包摂性)」ビジネス協会
金曜日、早朝7時からのビジネス協会のミーティングって。本当に人が集まるのかなぁ...。
このオレゴン・マイノリティ起業家ビジネス協会 、略してOAME* (オーアミィ)。以前から、『マイノリティ間の柵を取り払った』国連のようなと表現される、そのビジネス協会の噂はよく耳にしていました。
『でもマイノリティの少ないポートランドで、包摂的にする意味ってあるの?』と多様性ド素人の私。それに、通常のネットワーキング会とどう違うのかも想像がつきません。
因みにこのマイノリティという枠、日本とはすこし認識が少し違います。完全な優先順ではありませんが、アメリカでは人種(出身国や出身地域)、性別(女性)、そして年齢、障がい者、LGBTQ+ *となっています。日本人の私達は、必然的に有色人種でマイノリティに属します。
ポートランドがあるオレゴン州のビジネス。その大半は、従業者数200名以下とほぼ規定されている中小企業で占められています。そして前出のマイノリティがオーナーになっている中小企業を、一般的にマイノリティ・ビジネスと呼びます。
このようにビジネスの分野でも、歴史・文化的背景、共通認識の安心感から、それぞれの国、人種、性別ごとに細かく分割されて数多くのマイノリティ商工会が存在しています。
さて、そんな浅い予備知識を頭の片隅から引っ張り出しながら、ぼーっとビジネスビルのドアを開けた私。
おーっと、まずはその熱量にびっくり!「あの~、月に2回の朝会。何名ぐらい来るのですか?」(こんな朝早くから、という言葉を飲み込む私。)
「オレゴン州の上下院議員、ポートランド市と近郊の公的機関と多様性関連局。そして起業家や企業。あっ、連邦政府局職員も来るから...毎回約100名から150名かな~。」あっさりとした口調で、すごい事をおっしゃる事務局の方。
(朝早くから活動開始は厭わない西海岸ビジネス事情とはいえ。聞けば、結構遠い町から前泊での参加者も多いとか。何なのこれは? ちょっと焦って、締めてもない褌をしめ直す。)
ちょっと混乱している脳を落ち着かせながら、巨大な会議室を見回すと人種や性別、年齢もちょうど良い混ざり具合で胸をなでおろします。
というのも、州と市の人口分布層から必然的に、ビジネス業界も白人男性が主流です。性別的という理由だけではなく、人種的マイノリティの私たち。アメリカで本気でビジネスをし始めると、その組織構造の人脈やネットワークや情報交換から、微妙に外されるという経験が増えていきます。
こんな感じで、ポートランド本部会に参加するようになって早15年*。理知的で公平公正なビジネスのありよう、健全なコミュニティーとはを学ぶ場となっています。そして、ビジネスを越えた人生の価値観が近い、Like-minded Peopleとの出会いも人生の宝の一部です。
今のコロナ禍では当然、各ビジネス協会の会員は減少の一途をたどっています。そんな渦中でも、州内の7都市支部への拡張とその会員数は、逆に成長をし続けているというから驚きです。現在行われているオンライン朝会でも、毎回100名越えで変化なしというのは真に必要とされている証でしょう。
その協会が牽引しているのは、人種、性別、宗教というバイアスを超えた誠実な信頼関係の築き。影で足を引っ張るのではなく、互いに益となる関係作り。現代の情報窃盗もどきの働きを良しとしない、公平公正さです。
この時代の人々の働きには、見つからなければ、捕まらなければ大丈夫という現象が強くあります。でもある意味、よこしまな思いのある人は、『来づらくなる』という文化を持ち兼ねているというから摩訶不思議。
そんなOAMEの創設者で現在も会長として運営を牽引しているサム氏へ、ちょっと深くて実りあるお話しをたくさんしていただきました。キーワードは、多様性・包摂性、ビジネス、行政協働、地域・コミュニティー。
これは、多様性先駆者の話です。でも、これから出て来る『マイノリティ』『マイノリティ・ビジネス』という箇所に、あなた、職場、非正規雇用、中小・下請け、地域、コミュニティーなどをあてはめて読んでみてください。
きっと、これからの日本に必須とされる多様性と包摂性のヒントがここに読み取れると思います。
| 『起業ビジネスでマイノリティーを救え』作戦
ポートランドやオレゴン州においての多様性と包摂性の開始時点。それは、日本とほぼ同時期の2015年頃。当然、西海岸都市としても断トツに遅れていました。その地域の公的機関が多様性重視の門を開いて、次々と関連部署を開設するに至った、立役者のサム会長。当時の状況とその決意とは、どのようなものだったのでしょうか。
山本「OAMEは、マイノリティ起業家や企業の為のビジネス協会ということですが、サムさんご自身も起業家なのですか。」
サム会長「もちろんです。大学を卒業後、差別を受けながらもキャリアを積んでいました。その後、なかなか正職を得ることが出来ない黒人や女性のための派遣会社を、1970年後半に起業。そこで得た収入を不動産に投資してという形で、経営を広げていきました。」
山本「え、じゃあ、元々起業家を目指していたのですか。」
サム会長「いえいえ。実は、牧師を目指しながら一般大学に進学をしました。当時のキング牧師の影響もあって、しいたげられたマイノリティの為の働きをしたかったのです。その中で、優秀でもなかなか正規社員として就職できずに生活に困っている人が大勢いることが分かり、彼らに必要なのは『社会、経済、仕組み、協働』だと感じたのです。社会や企業が彼らを受け入れないのなら、起業を後押しするのも手だと。その為に、公平公正にビジネスが運営できる仕組みを作っていこうと考えました。そこで専攻を変更して、今の山あり谷ありの人生が始まったわけです。」
山本「なんだか、ケーブルTV で連続ドラマシリーズにしたいような内容ですね~。」
サム会長「まだ、誰も踏み込んでいない分野に足を突っ込んじゃった...という意味では、ドラマティックかな。」
山本「雨降りで有名なポートランドの水溜まりにズボッと足を踏み入れて、しまった、思ったよりぬかるんでる!という姿を想像してしまいました。(笑)そんな 当時のポートランドのマイノリティと起業社の置かれた状況とは、いったいどのようなものだったですか。」
サム会長「今よりもっと白人割合が高かった70年代。私を含めマイノリティ・ビジネス中小企業は、大変難しいものがありました。直接的な差別、今まで培われてきた白人流ビジネスの根強いしきたり。最初から、土俵に乗るその権利さえもない状況でした。また、それぞれの人種ごとのビジネス協会はありましたが、同じマイノリティ同士なのに交わることなど無く、自分たちが良ければという意識が強かったように感じます。」
山本「そのような環境で、どのように『動いて』いったのですか。」
サム会長「まず、自分のビジネスを誠実に運営すること。同時に、利益計上にとことんこだわりました。自分のビジネスの運営がきちんと出来てこそ、初めて良き例となれますから。それ以来、『利益を計上し続けなければ、それは既にビジネスでは無い』と事あるごとに説いています。
活動としては、外枠を埋める形で全米のビジネス協会に多数参加をしていきました。外(全米)と中(ポートランド)の委員会参加を繰り返して、いち黒人ビジネスマンとして地道に信頼と実績を積み重ねていきました。
この様な活動や後のOAMEも含めて全てボランティア職ですから、ビジネスとの両立のために時間を極力有効に使うことも学んでいったのです。」
その活動経過の中で、ホワイトハウスからお声が掛かったサム氏。一体、なにが決め手だったのでしょうか...。
著者プロフィール
- 山本彌生
企画プロジェクト&視察コーディネーション会社PDX COORDINATOR代表。東京都出身。米国留学後、外資系証券会社等を経てNYと東京にNPOを設立。2002年に当社起業。メディア・ビジネス・行政・学術・通訳の5分野を循環させる「独自のビジネスモデル」を構築。ビジネスを超えた "持続可能な" 関係作りに重きを置いている。日系メディア上のポートランド撮影は当社制作が多く、また業務提携先は多岐にわたる。
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協働著作『プレイス・ブランディング』(有斐閣)