England Swings!
秋に現れる戦没者追悼のシンボル、赤いポピー
赤いポピーはヨーロッパでは戦争犠牲者のシンボルによく使われる。過酷な環境でもよく育つポピーは、19世紀のナポレオン戦争では荒れ果てた戦場跡で兵士の遺体を囲むように赤い花を咲かせたと伝えられている。第一次世界大戦に従軍したカナダの詩人ジョン・マックレーが「フランダースの地にて」 (In Flanders Field)という詩で、フランスのフランダース地方の戦場跡に赤いポピーが悲しく咲き乱れる様子を描いて以来、赤いポピーは戦争で亡くなった兵士の象徴としてますます広まった。
この赤いポピーの人気は絶大で、外国人のわたしはちょっと圧倒されるくらいだ。2014年は第一次世界大戦開始から100年めにあたった。これを記念して、秋に88万8246本の陶磁器製の赤いポピーがロンドン塔のお堀を埋め尽くすというアートが披露された。これは「流血の地と紅の海」(Blood swept lands and seas of red)というインスタレーションで、11月11日のリメンバランス・デーに向けて2万人のボランティアが1本ずつお堀に植え込んでいったのだ。数もすごいけど、労力もすごい。赤いポピーへの愛情というかこだわりを感じる。
この展示は大好評で、連日、見物客が絶えなかった。わたしも見に行って、人の多さにもアートの規模にも圧倒された。展示後に撤去された陶製のポピーは1本25ポンドで販売されて、完売。その収益はイラクやアフガニスタンで負傷した兵士や家族を支援する慈善団体などに寄付された。
この赤いポピーの季節がやってくると、テレビの司会者、政治家、スポーツ選手やセレブなど人前に出る人たちがこぞって胸にポピーを飾る。あまりの勢いに同調圧力のようなものを感じるほどだ。そうなると、人と同じことをするのを嫌がる英国人のこと、「行動を押し付けてはいけない」「ポピーを身につけることだけが愛国心なのか」と抵抗をする人が出てくる。そして最近では、犠牲者の追悼ではなくてシンプルに平和を祈ろうと、赤ではなく、白いポピーの飾りを好んで付ける人もたまに見るようになった。
わたしはたいていの英国のイベントに楽しんで参加するタイプだけれど、この赤いポピーはなかなか身につけられないでいる。たまたま周りに誰もいないこともあるし、戦争が関わるだけに、同じ経験をしていない外国人のわたしが参加しては申し訳ない気がしまって。この時期、マスコミの戦争特集が増えたり古い戦争映画が再放送されたりするだけで少し複雑な気持ちになる。英国では第二次世界大戦の終わりを「戦勝記念日」(5月8日)や「対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)」(9月2日)として祝うことをどうしても思い出して、日本人として決まりが悪くなるのかもしれない。赤いポピーは第二次世界大戦のことだけではないとわかっていても。
でも今年、少しだけ見方が変わった。今週、パディントン駅に行った時のことだ。構内にある兵士像の周りには、おそらく追悼式で供えられた赤いポピーの花輪がたくさん置かれたままだった。間近でながめると、花輪はひとつひとつ違っていてちょっと驚いた。こういう儀式用の花輪はみんな同じだと思っていたから。手書きのメッセージが添えられたもの、この鉄道会社で一緒に働いていた人を追悼しているものも多い。鉄道沿線の遠い町から贈られたものもあった。たくさんの花輪を見て、心のこもったメッセージを読んでいるうちに、追悼することに国は関係ないのかもという気がしてきた。人が人を思う気持ちなのだから、あまり難しく考えなくてもいいのかな。
だからと言って、来年からポピーの飾りを胸につけるかどうかはわからない。でも、赤いポピーは人を思う温かい気持ちにつながっていることを憶えておきたい。
著者プロフィール
- ラッシャー貴子
ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。
ブログ:ロンドン 2人暮らし
Twitter:@lonlonsmile