コラム

オピオイド依存症の深刻な社会問題を引き起こした、サックラー一族の壮大な物語

2021年07月20日(火)18時30分

パーデューは兄弟が購入したときには小さな製薬会社だった。アーサーはある事情でオーナーから外れることになり、それゆえアーサーの子孫たちは、「我々はオキシコンチン(とオピオイド禍)には無関係のサックラーだ」と主張している。しかし、アーサーはValium依存症を多く生み出したきっかけを作った人物であり、パーデューがオキシコンチンを売り込むマニュアルの原点を作った人物でもある。だから無実、潔白のように振る舞うべきではないというのが作者の立場のようだ。

アメリカのオピオイド問題を作り出した首謀者としてパーデューが話題になり始めた時のCEOは三兄弟の末っ子レイモンドの息子リチャードである。だが、イギリスに移住したモーティマーとその子供や孫を含めて彼らの家族全体がオキシコンチンの販売で利益を得たビリオネアである。彼らは「オキシコドン市場でパーデューの製品が占める割合は少ない。ジェネリックを売っている他の製薬会社のほうが多い」といった言い訳をしているが、数の上では少なそうでも1錠に含まれるオキシコドンの量ではダントツである。また、サックラー・ファミリーはオキシコンチンのジェネリックを作る製薬会社も所有しており、この市場のパイオニアであり主要プレーヤーであることは間違いない。

美術館は関係を解消

依存症が問題になってきた頃にパーデューはオキシコンチンの製造法を変え、粉砕してコカインのように吸入できないようにした。だがこれは依存症対策というよりも、他社によるジェネリックの発売を遅らせる手段であったようだ。製造法の変化はある意味効果的で、粉砕して吸えなくなった依存症の者はヘロインや合成オピオイドのフェンタニルを使うようになった。ヘロインやフェンタニルのほうが安いということもあり、これらの依存症が急増し、オーバードーズで死ぬ者も増えた。

一方で、イギリスに渡って英国籍になったモーティマーは、テート・ギャラリー、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、ルーブルなどに多額の寄付をし、1995年にエリザベス女王から「Honorary Knight Commander of the Order of the British Empire (KBE) 」という上位勲章を得てサーの称号を得た。だが、彼の輝かしい慈善活動は、多くの人々が人生や命を犠牲にしたオピオイド依存症でまかなわれていたのだ。

それ以外の家族もアートでの寄付で知られていたが、パーデューではなくサックラーの家族らが裁判で訴えられるようになり、アーティストで社会活動家のナン・ゴールディンの活動の効果もあって美術館や大学はサックラー・ファミリーとの関係を解消し、建物やコレクションからサックラーの名前を取り去るようになった。

ひとつの家族の欲はこれだけの影響を生み出したのだ。まるで壮大な劇を見ているような読み応えがあるノンフィクションだった。


プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ビットコイン一時9万ドル割れ、リスク志向後退 機関

ビジネス

ユーロ圏銀行、資金調達の市場依存が危機時にリスク=

ビジネス

欧州の銀行、前例のないリスクに備えを ECB警告

ビジネス

ブラジル、仮想通貨の国際決済に課税検討=関係筋
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影風景がSNSで話題に、「再現度が高すぎる」とファン興奮
  • 3
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国か
  • 4
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 5
    マイケル・J・フォックスが新著で初めて語る、40年目…
  • 6
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 9
    山本由伸が変えた「常識」──メジャーを揺るがせた235…
  • 10
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 10
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story