コラム

ナイキCMがマーケティング戦略的に正しい理由

2020年12月08日(火)18時20分

今年11月にタイツメーカーのアツギがツイッターで行った「#ラブタイツ」キャンペーンも失敗例だ。イラストレーターに依頼して、アツギ商品を着用した高校生や客室乗務員のイラストが投稿されたが、それは女性が「女性を性的対象として描いている」と感じるものだった。

加えて、アツギの公式アカウントが「素敵なイラストばかりで、動悸がおさまらないアツギ中の人。みんな......めちゃくちゃ可愛くないですか.........」と性的な興奮を示唆するようなツイートをしたために女性からの批判が殺到した(担当者が女性であっても、問題は変わらない)。

タイツやストッキングを買うのは女性なのだ。アツギのバイヤーペルソナには、電車の中で痴漢の被害に遭うことや職場でのセクハラを苦痛に感じている女性もいる。

逆に、批判は殺到したがマーケティングとして成功したのは、米ナイキがプロフットボール選手のコリン・キャパニックを起用して2018年に製作したCMだ。キャパニックは2016年に、警察による黒人への暴力に抗議して試合前の国歌斉唱で起立を拒否した。キャパニックに共感する人がいる一方で、「国旗に不敬だ」と非難するドナルド・トランプ米大統領に賛同する人も多く、アメリカの分断を象徴する社会問題に発展した。

そんなキャパニックをCMに起用するリスクは高いが、ナイキは「何かを信じろ。全てを犠牲にしてでも」というメッセージと共に公開した。

大坂なおみに共感する層

ナイキ不買運動も起こったが、CMが公開された直後の週末にはネット販売が前年同期比で31%増加した。ナイキの最も重要なバイヤーペルソナは、差別の対象になりやすい移民や有色人種の18~29歳の若者や、その友人の都市部の白人だ。彼らは、自分の信念のためにスター選手の地位を犠牲にしたキャパニックを「英雄」として尊敬した。ナイキは、多くのアメリカ人から嫌われることを覚悟で、ブランド忠誠心を抱くバイヤーペルソナに対して強いメッセージを送ったのだ。

私が今回のナイキCMを知ったのは、お子さんがサッカーをする知人のツイートだった。彼はこの映像に「素晴らしい」と感動していたし、私が普段ソーシャルメディアで交流する人たちも同意見だった。この人たちに共通するのは、普段から人種差別、いじめ、偏見に敏感で、社会をより良くしたいという願いだ。

大坂なおみが今年の全米オープンで、警察の暴力の犠牲になった黒人の名前を書いたマスクを着けて抗議したとき、この人たちは大坂を英雄視した。彼らは、ネット上で大坂とナイキのコラボレーションを話題にしたり、ナイキ商品を自分や子供のために買ったりする。つまり、このCMが語り掛けるバイヤーペルソナなのだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国副首相が米財務長官と会談、対中関税に懸念 対話

ビジネス

アングル:債券市場に安心感、QT減速観測と財務長官

ビジネス

米中古住宅販売、1月は4.9%減の408万戸 4カ

ワールド

米・ウクライナ、鉱物協定巡り協議継続か 米高官は署
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story