コラム

先住民迫害の過去から目をそらすアメリカは変わるのか

2018年09月07日(金)17時10分

アルコール依存症の母から生まれた胎児性アルコール症候群の男、資金提供を受けてインディアンとしての体験談をフィルムにしようとする若者、母に連れられてインディアンによるアルカトラズ島占拠に参加させられた姉妹、大学でインディアン文学を専攻したが就職口がなくて母の家で引きこもりになっている男、16歳のときにレイプされて生まれた娘を養子に出した女性、裕福な白人家庭に引き取られたためにインディアンとしてのアイデンティティーを後に得た女性、子育てを放棄した姉の孫たちを育てる女性、祖母が隠していたインディアンの衣装を取り出して身につける孫など多様だ。一見、何の関係もないような人々だが、インディアンのお祭りであるPow Wowで劇的に繋がる。

タイトルになっている『There There』は、通常はがっかりしている人や泣いている人をなだめるためにかける言葉だ。日本語なら「よし、よし」という感じだろうか。ラジオヘッドの有名な曲「There There」を連想するかもしれない。

だが、この小説のタイトルは、作家で詩人のガートルード・スタインの『Everybody's Autobiography』からの有名な引用「there is no there there(そこには、「あそこ」がない)」から来ている。1880年代にカリフォルニア州オークランドで子供時代を過ごしたスタインは、1935年に45年ぶりに故郷を訪問した。だが、オークランド市はスタインの子供時代から10倍の大きさに成長しており、牛や馬がいた懐かしい「あそこ」の風景が消えていた。その切なさが、「there is no there there」という表現になったのだ。

作者のオレンジもオークランドに住んでいる。この地に住むインディアンは、インディアン保留地ではなく都市を選んだ者だ。だからといって、彼らのすべてが同じ理由でここに住んでいるわけではない。そして、インディアンというアイデンティティーに対する考え方も、プライドも異なる。

そもそも、「先住民」の呼称についても、一致してはいない。アメリカの白人は、ポリティカル・コレクトネスで「Native American(ネイティブ・アメリカン/アメリカ先住民)」と呼ぶが、自分たちをそう呼ぶインディアンなどいないとオレンジは書いている。彼らの間では、Nativeという呼び方が多いようだ。私の別の記事について「インディアンという呼び方はしてはならない」と忠告した日本人がいたが、Indianも彼ら自身が選んで使う呼称だし、公式文書にも使われている。尋ねる人によって、それぞれの呼称に対する考え方は異なるのだろう。

そういったことも含めて、この小説に描かれているインディアンの歴史や文化、生活を、アメリカに住む私たちはほとんど知らない。マジョリティの白人だけでなく、移民や黒人についての本は沢山あるのに、この国に最初から住んでいた生粋のアメリカ人を伝える本は少ないし、あまり読まれていない。

それを、オレンジのこの本は変えてくれそうだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

午後3時のドルは146円付近で上値重い、米の高関税

ビジネス

街角景気6月は0.6ポイント上昇、気温上昇や米関税

ワールド

ベトナムと中国、貿易関係強化で合意 トランプ関税で

ビジネス

中国シーイン、香港IPOを申請 ロンドン上場視野=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」だった...異臭の正体にネット衝撃
  • 4
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 5
    「ヒラリーに似すぎ」なトランプ像...ディズニー・ワ…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    米テキサス州洪水「大規模災害宣言」...被害の陰に「…
  • 8
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 9
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 10
    中国は台湾侵攻でロシアと連携する。習の一声でプー…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 3
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸せ映像に「それどころじゃない光景」が映り込んでしまう
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 6
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 10
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 4
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 5
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 8
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 9
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story