「独裁者マルコス」と「暴君ドゥテルテ」の同盟でフィリピンの悪夢が甦る
独裁者の息子マルコスJr.が大統領選に名乗り ROUELLE UMALIーPOOLーREUTERS
<来年5月の大統領選に向けた構図は混沌としているが、その中で存在感を放っているのがドゥテルテ一派と故マルコス元大統領の長男だ>
フィリピンの人々にとって、1972年から9年間続いた戒厳令の時代は、暴力、人権の抑圧、権力者による不正蓄財などがまかり通った暗黒の時代だったというのが一般的な見方だろう。
当時フィリピンに君臨していたのがフェルディナンド・マルコス大統領だ。この独裁者は86年に民衆の反乱により権力の座を追われ、89年に亡命先のハワイで死去した。
先頃、そのマルコスの息子であるフェルディナンド・マルコスJr.(通称「ボンボン」)が2022年5月のフィリピン大統領選への立候補を正式に表明した。これまでは北イロコス州知事や上院議員などを務めてきた。
息子が常に父親の罪について責任を問われるべきだとは言えない。しかし、マルコスJr.は、戒厳令時代がフィリピン社会の発展に寄与したと言ってはばからない。9月に出演したテレビ番組では、父親の時代がフィリピンを近代化させたと言ってのけた。
ドゥテルテ現大統領の就任以降、マルコスJr.の人気はじわじわ高まっている。ドゥテルテが故マルコスの権威主義的統治を模倣していることもその一因だろう。
実際、ドゥテルテ家とマルコス家はおおむね良好な関係にある。マルコス家の面々はドゥテルテ政権に好意的な発言をしているし、ドゥテルテは16年に故マルコスの遺体を首都マニラの国立英雄墓地に埋葬している。
マルコス時代がフィリピンを近代化させたというマルコスJr.の主張は、一部の有権者には受けるのかもしれない。当時に郷愁を抱く人たちは、発展のためにはある程度の人権侵害もやむを得ないのではないかと考えるだろう。こうした考え方は、ドゥテルテ政権支持者の多くが訴えている主張とよく似ている。
ところが、実際には、マルコス政権最後の2年間、フィリピンのGDPは大幅に下落し、大規模なインフラ整備事業のいくつかも中止に追い込まれた。マルコスが独裁政治を行っていた期間に、国の債務も大きく膨れ上がった。一方、マルコス家は、国の財産をかすめ取り、大掛かりな不正蓄財を行った。
マルコス時代は、フィリピン経済が壊滅的打撃を被り、汚職がはびこった時代だったのである。
それだけではない。政権による人権侵害も横行していた。同政権下で投獄された反体制派は7万人以上、法的手続きを経ずに殺害された人は3200人を上回る。
野党陣営は、大統領選でドゥテルテ家とマルコス家が何らかの形で手を組むことに神経をとがらせている。