香港よ、変わり果てたあなたを憂いて
A BESMIRCHED ORIENTAL PEARL
教育の現場も大きく変わっている。香港の「通識教育」(リベラルスタディーズ)は、生徒の独立した批判的思考を養う上で先進的な試みだとして、世界的にも注目されていた。しかし、国安法を受けた改革で新たに導入されるのは、国家分裂や政権転覆など4つの犯罪類型を学ぶカリキュラムだ。「通識教育」は「公民と社会発展」という科目に抜本的に改められ、順法意識や愛国心がその重要な要素となる。
「永久に香港を去る」人々
こんなところで子育てはできないと、海外への移住者が急増している。昨年1~3月、「永久に香港を去る」ことを理由に解約された年金額は19億香港ドル(約270億円)と前年同期の1.5倍に、ビザ取得に必要な無犯罪証明書の申請件数は直近1年で3万4000件に達した。この1年で2万人近くの生徒が小・中・高校を退学している。
6月17日、香港最後の民主派の新聞といわれる「蘋果日報(アップル・デイリー、リンゴ日報)」の編集長、CEO(最高経営責任者)ら5人が逮捕され、同社の資産も凍結された。昨年6月末の国安法施行以前の「外国勢力を駆り立て、香港や中国政府の制裁発動を求めた十数本の記事」などが同法に抵触する疑いがあるという。国安法は過去に遡及して適用しないと説明しているにもかかわらず、過去の記事にまでさかのぼって取り締まりを行おうとしている可能性がある。6月23日、蘋果日報は停刊を正式に表明した。
昨年8月10日、国安法違反の容疑で10人のメディア人や活動家と共に逮捕された蘋果日報創業者の黎智英(ジミー・ライ)は、裸一貫から大メディアのトップにまで上り詰めた。広東省広州市に住んでいた幼少時、父は香港におり、母は大陸の労働改造施設へ送られていた。2人の姉と兄は高校、大学進学のため実家を離れており、家に残されていたのは双子の妹と軽微な知的障害のある姉だけだった。黎は鉄くずを売り、駅で荷物運びを手伝って金を稼ぎ、家族を支えていたという。
1960年、12歳の黎は1香港ドルを持って、マカオから香港へ密入境した。香港に行こうと考えたのは、香港の旅客の荷物運びを手伝った時に、お金の代わりにチョコレートをもらい、そのあまりのおいしさに、「香港は天国のようなところに違いない。自分は香港人になるんだ」と考えたからだという。香港の工場で働き、経理を学び、小学校しか出ていなかった黎は、いつしか英語が流暢に話せるようになっていた。