ヤクザの腕を切り落とした半グレ「怒羅権」創設期メンバーが本を書いた理由
記憶に残っているのは、葛西のとあるマンションです。屋上に通じる階段の脇に機械室があり、鍵がかかっておらず、寝泊まりができたのです。屋外で眠ると、夏でも朝方は冷え込むので、雨風がしのげるのはとてもありがたいことでした。
この機械室では同世代の子どもたちが寝泊りしていました。中国語で故郷のことや学校のことを話しました。でも、あまり家庭の話はしません。
しかし、なんとなく「この子にはお父さんがいないのだろうな」とか「家でうまくいっていないのだろうな」と感じていました。
そのようにしていくつも夜を過ごすうちに、私たちは仲間になっていきました。(53ページより)
一方、日本人同級生たちからのいじめは激しくなっていき、罵られたり殴られたりする残留孤児2世が大勢いた。
日本人を理解しようと努力する子や、思い詰めて自殺する子まで、残留孤児2世のいじめに対する反応はさまざま。当然ながら抵抗するタイプもおり、著者もそのひとりだった。
葛西中学校に転入してから半年くらい経った頃、初めて日本人の同級生を殴りました。(中略)何がきっかけだったかはよく思い出せませんが、なぜ自分がいじめられなければならないのか猛烈に理不尽さを感じ、気がついたらその子に食って掛かっていたのです。(中略)。この後、私が辿った人生を考えれば、喧嘩とも言えないような喧嘩ですが、これは大きな転機の1つになったように思います。(56~57ページより)
怒羅権が誕生したのも、こうしたいじめに抵抗するためだった。学校内で暴力事件が起これば、学校が親を呼び、やめさせることになるだろう。しかし残留孤児2世の親はいろいろな意味で余裕がなく、子ども以上に日本語が理解できない。つまり止める者がいないため、暴力はさらにエスカレートしていく。
いじめてきた不良を殴り返したら、仲間の上級生を呼んでくるようになります。上級生とやりあううちに学校の外の暴走族が呼ばれるようになります。暴走族に襲撃されるようになると、私たちも登下校のときに固まって行動するようになり、やがてチームになっていきました。
現在の怒羅権は犯罪集団ですが、当初は自然発生的に誕生した助け合いのチームだったのです。(57~58ページより)
ナイフを躊躇なく使ったのも理由があった
自衛のチームだった怒羅権は、やがて暴走族となり、そののち半グレと呼ばれる犯罪集団になっていく。しかし、本書で時系列に従って克明に明かされるそのプロセスやエピソードを確認すれば、決してただ凶暴なだけの集団ではなかったことが分かる。