コロナ対策に成功した国と失敗した国を分けたもの──感染症専門家、國井修氏に聞く
――日本は第一波で感染爆発を経験していない。第二波で感染者数が増えるなかで、クラスター対策などを変えていく必要はあるのか。
感染者が集団発生した場合、その感染連鎖を断ち切らないと次々に広がり、大規模な集団発生にもつながりかねない。その意味でクラスター感染の濃厚接触者を特定し、感染の広がりを防止し、また感染者の行動歴を後ろ向きにさかのぼって感染源の同定をすることは重要だ。ただし、検査数が増え、感染者が増えるとこれまで通りの方法では難しい。既に保健所などでは過剰労働が問題となっている。
私はこれまでHIVや結核、マラリア、コレラ、ポリオなど他の様々な感染症対策に関わってきたが、流行初期や収束間近で症例数が少ない時には集団感染や個々の感染に細やかに対応できるが、数が多くなると個別に対応できる資源が不足し、戦略を変えないといけない。
感染症はすべての人に同じように拡大するわけではなく、リスクの高い集団、職業、活動、地域があり、ホットスポット、ハイリスクグループなどとも呼ばれる。それらを把握して感染が拡大する前に予防し、流行した場合、早期に介入して拡大を防ぐことが重要だ。
現在、私が住む欧州でも第二波がやってきている国があるが、以前のようなロックダウンは国民には受け入れられないだろうし、感染者が増えても死亡の増加は少ないので、冷静な対応、メリハリのある措置を行っている。
メッセージとして強調したいのは、「リスクゼロ」はあり得ないということだ。リスクゼロを求めるなら、外に全く出ずに自分ひとりで生活するしかない。一歩外に出れば交通事故のリスクもあるし、コロナ以外の病気にかかるかもしれない。コロナ以外にも多くのリスクがあるが、それらと付き合いながら我々は生きてきたし、これからも生きていかなければならない。
新型コロナの流行初期に比べて、この感染症との闘い方も付き合い方も次第にわかってきた。効果的なワクチンや治療薬が開発されればよいが、そうでなくてもうまく付き合っていけると私は思う。コロナは世界から消えず、流行は終息しないかもしれないが、他の感染症と同様、このウイルスと人類は「共生」できると思う。
これまで闘ってきた世界の様々な感染症に比べて、私自身は新型コロナをそれほど「特別」で「恐ろしい」敵とは感じていない。むしろ、人間側の「恐怖心」やそれによって差別や偏見、社会の中で取り残される人々、辺縁に追いやられる人々が生まれることの方が私には恐ろしく感じる。
社会経済活動と公衆衛生対策をバランスよく保っていきながら、多少のリスクは受け入れる。感染者数の増減などに一喜一憂せず、死者数を最小限に抑える努力をする。そうやって我々は少しずつコロナとの「共生」の仕方を学び、また将来やってくる新たな感染症の到来にも備えていく必要があると思う。
【國井修氏プロフィール】ジュネーブにある国際機関「グローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)」戦略投資効果局長。元長崎大学熱帯医学研究所教授。これまで国立国際医療センターや国連児童基金(ユニセフ)などを通じて感染症対策の実践・研究・人材育成に従事し、110カ国以上で医療活動を行ってきた。
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