百田尚樹と「つくる会」、モンスターを生み出したメディアの責任 石戸諭氏に聞く
――本誌で特集した際、石戸さんは記事をこう結んでいた。「百田尚樹とは『ごく普通の感覚を忘れない人』であり、百田現象とは『ごく普通の人』の心情を熟知したベストセラー作家と、90年代から積み上がってきた『反権威主義』的な右派言説が結び付き、『ごく普通の人』の間で人気を獲得したものだというのが、このレポートの結論である」と。
面白いのはその先で、「新しい歴史教科書をつくる会」についての第二部が加わった本書では、第一部の終わりで石戸さん自らがこの「結論」を覆してしまった。「私もまた百田現象とつくる会現象の類似点に着目した......だが、一連の取材を終えてそのアプローチは間違っていたことに気づかされた。百田現象は『新しい現象』である」と。
これには驚いた。えー、特集の結論、間違ってたの!?と(笑)。
続きはまるでミステリーを読んでいるようで、「きれいに連続しているはず」だった、つくる会と百田現象が実は「断絶」していた、という第二部に突入する。
第二部で90年代後半の「新しい歴史教科書をつくる会」を支えた中心的人物、藤岡信勝氏、小林よしのり氏、西尾幹二氏に取材をしに行って、何が分かったのか。
結論から言うと、百田現象がつくる会から連綿とつながっていた、という見方は間違っていたということを書いている。表面的な主張が似通っているつくる会と百田現象を、歴史的に連続した流れの中に位置付けるのが社会学者などの見方で、僕もそういうことだろうと特集時点では思っていた。
だが実はつくる会と百田現象の間には明確な断絶があることが、第二部の取材をする中ではっきりした。つくる会と百田現象につながりを見出すのではなく、断絶のほうこそに本質があるのでは、と考えた。
文芸評論家の加藤典洋さんが晩年に、百田作品について丁寧な論評を残している。加藤さんは百田論の中で、イデオロギーを「着脱」できるという意味で「新しい作家」だと見事に表現している。僕のアプローチは加藤さんの影響を受けている。
百田さんにも右派的なイデオロギーがあることはあるが、小説を面白くしたり人を感動させたりするためなら自分のイデオロギーを容易に「着脱」できる。読みやすくするためにはいろんなことを犠牲にでき、イデオロギーよりも物語としての感動や面白さを優先する。