天安門事件の教訓にアメリカが学ぶとき──血の弾圧は独裁国家でなくても起こる
Tiananmen Can Happen Here
首都ワシントンで兵士に手を振るデモ参加者 KEVIN LAMARQUE-REUTERS
<「秩序の維持」を名目に警官と州兵がデモ参加者を蹴散らす今日のアメリカ、市民の自由と安全を脅かす権力の暴走は独裁国家に限らずどこでも繰り返される>
清朝の皇帝が暮らした壮麗な宮殿である紫禁城に至る門──それが、5歳の私が天安門について知っていた全てだった。その門の前を通って戦車が広場に入り、抗議の声を上げる人たちを無慈悲に蹴散らしたことを知ったのは、15歳の時だ。
そして20歳になった私は趙紫陽(チャオ・ツーヤン)元中国共産党総書記の回想録を読んだ。そこには詳細に書かれていた。民主化を求める学生や労働者が広場を埋め尽くしたこと、人民解放軍の兵士たちが彼らに銃口を向けたこと、広場に戦車を送り込み、実弾の使用を命じたのは共産党指導部だったこと。
1989年6月4日は中国の歴史における重要な転換点となった。31年後の今もなお国家の暴力の恐ろしさは人々の記憶に染み付いている。天安門が後世の人々に伝えるのは清朝の栄華だけではない。広場に集まった学生たちの希望、そして彼らが流した血。私も含め中国人はそこで起きたことをこれからもずっと問い続けることになる。
一方、アメリカ人にとっての天安門は過去の事件にすぎない。そう、ただの人ごとだ。今この瞬間にも大勢の人々が警察の暴力に抗議しているというのに......。
ドナルド・トランプ米大統領は1990年にプレイボーイ誌のインタビューでこう語っている。「学生が天安門広場に押し寄せると中国政府は焦り狂った。その後の彼らのやり方は悪辣だったが、あの場合は力で抑え込むのが正解だ」
無遠慮な感想だが、トランプは天安門をただの事件ではなく、教訓として受け止めている。彼はそこから権力とは何かを学んだのだ。とはいえ、外交政策の専門家たちにとっては、天安門は過去の遺物にすぎず、血と権力と犠牲についての教訓ではない。
人々の記憶は消せない
生存者が体験を語るイベントなども、もっぱら中国共産党を批判する趣旨のものだ。マイク・ポンペオ米国務長官は6月4日にアメリカに亡命した元活動家たちと並んで撮った写真を説明なしでツイッターにアップした。亡命者たちの顔触れはアメリカ人にはなじみがないが、中国当局にはよく知られている。ポンペオが投稿した写真は中国当局に向けたメッセージなのだ。
だが6月4日に起きたことがあの運動の全てではない。中国の人々が学生たちの運動に抱いた共感や希望、軍と警察がそれを無残につぶし、運動の支持者を全土で捜し回って逮捕したこと。6月4日の前にも後にも長い物語がある。