最新記事

日本に迫る医療崩壊

「命の選別」を強いられるアメリカの苦悩

WHO WILL DOCTORS SAVE?

2020年5月1日(金)18時00分
フレッド・グタール(サイエンス担当)

この指針は、ほとんどの生命倫理学者の一致した考えを体現している。貴重な人工呼吸器を誰に使うべきかという生死を分ける判断を、現場の医師に押し付けるべきではない。過酷な状況下で患者の命を救うだけでも大変なのだから、どの患者が治療に値するかを判断する重責を背負うことなく、治療に専念できるようにすべきだ──。

命の選別は現場の医師とは別の医師団に任せ、患者の人種や宗教、障害者かホームレスか病院の献金者かといった情報には「アクセスすらできないようにするべきだ」とコロラド大学生命倫理・人文科学研究所のマシュー・ウィニア所長は言う。

難しい判断は独立したチームに任せるほうが治療効果も上がると、ウィニアは指摘する。近隣の病院で利用可能な医療資源についてチームの「状況認識」が向上することで、個々の患者への対応を変えられる可能性があるためだ。「医療資源をある患者に配分した結果、別の患者が死に、その3日後に実は10キロと離れていない別の病院に転院可能だったことが判明する、といった悲劇があってはならない」

「未知なる戦い」の最前線で

だがこれらの指針はあくまでも、生命倫理学者たちが長年の研究と議論を通じて考えてきたものだ。その間にも09年の新型インフルエンザや02年のSARS(重症急性呼吸器症候群)などの爆発的感染拡大が起き、公衆衛生当局を震撼させた。世界全体で何千万人もの死者が出たスペイン風邪級の大惨事が近いのではないかという不安が的中した今、救急治療室で実際に何が起きるかが明らかになるはずだ。

現段階では、まだ答えはよく分からない。今回のような危機は「私も生まれて初めての経験だ」と、ウィニアは言う。「今の決断の参考になる事例は、第2次大戦までさかのぼらなければ見つからない」

準備不足は明らかだ。多くの病院では、救急治療室の医師が従うべき明確な指針がなく、決定は現場の裁量に委ねられているように見える。

ニューヨークではほとんどの病院が新型コロナの患者に医療資源を集中させているが、ワシントン大学保健指標評価研究所によると、それでも人工呼吸器が9000台以上不足すると予想されている。一部の病院は新型コロナの患者を救わない選択をする医師を容認していると、ワシントン・ポスト紙は報じている。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙によれば、ニューヨーク大学ランゴン医療センターは電子メールで、人工呼吸器の割り当てを「もっと厳しい目で検討する」よう医師に促し、「無駄な気管挿管を保留する」医師の決定を支持した(同センターはこの指針について、新型コロナの流行以前に導入されたものであり、ニューヨーク州のガイドラインに沿っていると主張)。

各病院は現在、必死になって軍隊的な命の選別に直面する事態を避けようとしている。足りないのは人工呼吸器だけではない。献血する人がいないため、血液の供給量も不足している。スタッフの人数も大規模な危機に対応できるレベルに達しておらず、特にICU(集中治療室)で人工呼吸器やその他の医療機器を操作できる人員が不足している。

「これらの医療機器は患者の体につないだら、後は放っておけるものではない」と、ウィニアは言う。「ICUレベルのスタッフが一日中管理する必要がある。5万台の人工呼吸器を全米に届けることができたとしても、操作する人間がいない」

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ロシア政府系ファンド責任者、今週訪米へ 米特使と会

ビジネス

欧州株ETFへの資金流入、過去最高 不透明感強まる

ワールド

カナダ製造業PMI、3月は1年3カ月ぶり低水準 貿

ワールド

米、LNG輸出巡る規則撤廃 前政権の「認可後7年以
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中