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「ポスト冷戦期」を見届けた後

しかし良いことばかりではない。今売り出し中の新進の学者に依頼して存分に筆を揮ってもらう『アステイオン』ならではの、別方向からの苦難が、まだそれほど明らかではないが、もしかすると忍び寄ってきているのかもしれない。それは書き手を供給する学者の社会の側の変化である。学者にとって以前よりも、『アステイオン』を含めた一般向けの雑誌に寄稿することは、そこにいかなる職業上の利益があるか、不分明になりつつある。かつて『アステイオン』が登場した頃とは比較にならないほど、大学行政において学者個人や組織の「業績評価」が問題とされるようになり、「業績になる」媒体と体裁での成果発表に各人が追われるようになったからである。「査読付き・英語・専門学術誌論文」のみが有効な成果とされ、『アステイオン』のような、日本語で、編集委員会の依頼に応じて寄稿し、査読を経ておらず(匿名査読者による査読ではないという意味で)、一般読者を想定している雑誌への寄稿に傾注することは、大学の世界の住人にとって、特にまだ評価の定まらぬ若手・中堅の研究者にとっては、かなり微妙なものとなってしまっている。「一般読者」からの承認欲求を満たすだけならば、質や手段を問わなければ、フェイスブックやツイッターといったSNSを通じて幅広い層に議論を届けることも、理論的には可能になっている。この環境で、『アステイオン』は今後も優れた書き手を集めることができるのか?

編集委員として数号の編集に携わった限りでは、この点では全く不都合を感じることはなかった。なおも意欲の横溢した書き手が引きも切らず現れてくる。しかし将来においてもそうであり続けるかは定かではない。あえて言えば、『アステイオン』に載ることが著者のステータスとなり、評価の対象となり、職の安定につながるような知名度や威信を『アステイオン』が保てば良いということになるが、言うは易くしてそれを達成する方途は知れない。

おそらく雑誌というメディアは、一度徹底的に時代遅れになることによって、その意義を再発見されるだろう。世界の隅々の情報が即座にスマートフォンに表示され、専門家がSNSで先を争ってコメントをつけ、リンクと検索であらゆる情報が繋げられ掘り起こされていく時代に、雑誌という古いメディアは一度全く取り残されざるを得ない。しかし、無限に広がる情報空間の中で、個々の情報は極度に断片化し、拡散していく。流通するニュースの多くは、実はタイトルしか読まれていない。電子媒体とクラウド化によって無限の情報空間につながった読者は、何をどこまで読めば良いのか、手がかりを失い立ちすくむ。手近の馴染みのある心地よい情報にさえ触れていられればそれで良いという人もいるだろう。しかし「まだ知らぬ読むべきものを、ひとまとめに手中に収めたい」という欲求は、必ず生まれてくるだろう。

断片化した情報を再び接合し、編集し、まとまりのある一本の論考として、構造のある特集として、一冊にまとめてみせる雑誌は、それが有限な物体であるという限界によって、やがて再び意義を持つようになる。『アステイオン』がそのような雑誌の意義を再発見させる媒体となりうるか、まだ誰にも分からない。しかしポスト冷戦の不透明な時代を定点観測してきた『アステイオン』の三〇年の軌跡は、今後を見通すためにも、何らかの指針を示してくれているように思う。

※当記事は「アステイオン創刊30周年ベスト論文選」からの転載記事です
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 『アステイオン創刊30周年ベスト論文選
 1986-2016 冷戦後の世界と平成』
 山崎正和 監修
 田所昌幸 監修
 CCCメディアハウス


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