憤るアメリカ白人とその政治化
しかし、ホックシールドの分析の核心は、宗教ではなく、ルイジアナのティーパーティー支持者らに共通の「深層の物語」である。彼らは、自分たちを大企業とそれに買収された政治家の犠牲者とは認識せず、自分たちは、真面目に「きちんと列に並んで自分のアメリカン・ドリームの順番を待っている」のに、黒人や移民、そして女性たちがアファーマティブ・アクションにより、不当に「列に割り込んでいる」と憤慨している。しかも、リベラルな白人たちに対しては、「列に割り込む」マイノリティー、移民や女性らに同情するだけでなく、政府の規制を使って、特定のライフスタイルを押し付けてくる鼻持ちならない輩だと怒っている。健康的なものを食べよ、タバコを吸うな、電球はエコなLEDを使え、など全て大きなお世話だ、という怒りである。
クレイマーとホックシールドを読む限りでは、ティーパーティー支持者らの反政府主義は、思想的な整合性のあるものではなく、自分の親と比べて自分の生活が良くなったと思えない人たちが、「自分のアメリカン・ドリーム」を盗んだ犯人探しをするなかで、社会進出に成功したマイノリティー、高学歴女性らや移民、そして雇用が安定している公務員などを槍玉にあげ、共犯としてのリベラル・エリートと政治に対しての憤怒を正当化するものであるように見える。トランプの選挙集会で、支持者らがヒラリー・クリントン候補を「Lock her up!(刑務所にぶち込め!)」と叫ぶとき、それは彼女個人に対する憎しみというより、「アメリカン・ドリームの盗人らをぶち込め!」という叫びだったに違いない。この憤怒には、人種的な偏見は勿論、男女平等などに対する違和感や敵対心も含まれる。アメリカにおける人種的な偏見はとても根が深い。クレイマーもホックシールドも言及していないが、そもそも米国人が福祉国家による再配分を嫌うのは、再配分すると得をするのは低所得層の働かないマイノリティーだと信じているからであるのは福祉政策の専門家には広く知られている。社会的医療保険のない米国では、勤労世帯対象の社会サービス・給付は一切存在しない。福祉といえば、厳しい所得制限付きの低所得救済政策のみである。中流階級も受給できる福祉制度は、高齢者向けの社会医療制度(メディケア)と社会保障年金だけである。反政府主義のティーパーティー支持者も、自分たちが受給できるメディケアと社会保障年金に関しては大賛成で、「反政府」ではないのである(1)。つまり、反政府というより、「自分のようではない人たち」への再配分が嫌なのである。低所得の白人層には怒りは向けられずに、怒りの対象になるのは「怠け者」のマイノリティーや「ずる賢い」移民だ。
クレイマーはウィスコンシンでは人種差別発言は観察出来なかったというが、ティーパーティー運動の参加者には、表立って人種差別的な発言はしなくとも、人種的偏見の強い人が多いことは政治学者らの研究で明らかにされている(2)。ホックシールドは、親にお金がないのに、オバマ前大統領夫妻が授業料の高い名門校に行けたのは、自分たちの税金を使ったに違いない、「列に割り込んだ」と憤るティーパーティー支持者らを描写している。オバマ夫妻は優秀であったが為に、名門私立大学の奨学金を得られた訳であるが、能力による競争に自分が負けたということを認めるよりは、マイノリティー、移民と女性が「列に割り込んだ」というストーリーの方が心理的に受け入れ易いことは自明だ。クレイマーもホックシールドも、有権者らのリベラル・エリートに対しての嫌悪については上手く描写しているが、リベラル・エリートが如何にしてそこまでターゲットになるのかについては語らない。フランクの二〇〇四年のベストセラーを起因として始まった「経済的利益と規範的な争点のどちらが投票行動に重要か」という論争については先に触れたが、この論争との関連の中で行われた実証的な検証によれば、経済的な要因の意義がなくなったのではなく、特に大卒以上の白人有権者層にとっての価値的な争点の重要性が増したことが認められた(3)。つまり、女性の中絶権、環境政策、市民権の保護、男女平等、性的志向の自由などを巡る政党間の価値観の対立を激化させたのは大卒以上の人達だったということになる。フランクも言及しているが、米国社会には根強い反知性主義が存在し、保守政治家は、それを梃にリベラルな知識人に「反アメリカ」というレッテルを貼ることで、攻撃をしてきた。マッカーシーによる赤狩りはその一例である。ホフスタッターはこういった「パラノイア」による政治をアメリカ政治のスタイルの一つとして論じている(4)。こうしたアメリカ政治の土壌を前提とすると、高学歴のリベラル派が民主党の政策をコントロールすればする程、民主党は「反アメリカ」レッテルを貼られ易くなった可能性がある。これは裏返せば、保守系の政治的起業家にとっては、票の動員のチャンスでもある。