ジャニーズと戦後日本のメディア・家族(前編)
少年たちは、歌って踊るアメリカの不良少年のミュージカルに魅了され、何日も映画館に通った。やがて見よう見真似でダンスを始め、そのなかで残っていったのがあおい輝彦、中谷良、飯野おさみ、真家ひろみの四名だった。彼らは、自分たちでミュージカルを上演することを夢見るようになった。ジャニー喜多川も「日本版ウェスト・サイド物語」の上演を目指し、自作のミュージカル台本「いつかどこかで」の制作に着手した(2)。〈ジャニーズ〉は、ワシントン・ハイツという日本のなかの「アメリカ」を母胎とし、また映画のなかの「アメリカ」に憧れて誕生したのである。
ジャニー喜多川は歌って踊れる少年グループを育てるべく、名和太郎の運営する新芸能学院や渡辺プロダクションに四人の少年たちを紹介し、本格的なトレーニングを受けさせた。やがて池袋のドラム、新宿のACB(アシベ)、銀座の美松などのジャズ喫茶に出演し、一九六三年一月にはナベプロが取り仕切る第十九回日劇ウェスタンカーニバルで伊東ゆかりのバックで踊るなどした。この時期の〈ジャニーズ〉は、ナベプロの強い影響下にあったのである(図1 ※アステイオン本誌には掲載)。
こうした事務所外での「下積み」を重ねながら、〈ジャニーズ〉は坂本九《上を向いて歩こう》、梓みちよ《こんにちは赤ちゃん》などのヒット曲を生み出したテレビ番組「夢であいましょう」に出演するようになった。一九六四年八月には永六輔作詞、中村八大作曲の《若い涙》を披露し、十二月にはこの曲でレコード・デビューを果たした。一九六五年二月にはモーター・スポーツを舞台化した石原慎太郎の作・演出ミュージカル「焔のカーブ」(主演・北大路欣也)のオーディションを受けて合格、「神風のわかもの」のごとくサーキットに臨む主人公に憧れる「雷族」を演じた(『日生劇場プログラムNo.16焔のカーブ』日生劇場、一九六五年四月)。
また、一九六六年には四カ月間、アメリカに滞在し、レッスンに明け暮れ、ラスベガスなどのショー・ビジネスにも触れていった。しかし、一九六七年一月に帰国したころには、ザ・ビートルズの来日を契機に大流行したグループ・サウンズが芸能界を席巻していた。〈ジャニーズ〉もザ・ビートルズを敬愛しステージでも歌ってはいたが、バンド編成ではないミュージカル少年たちが活動できる場は、そう多くなかった。そして、この年の夏、ジャニー喜多川原作の「いつかどこかで」を上演、十一月の公演をもって解散した。
なお、《若い涙》以降、〈ジャニーズ〉の楽曲の作詞を手掛けた人物には永六輔、石原慎太郎のほか、岩谷時子、江間章子、安井かずみ、山上路夫らがおり、いずみたく、團伊玖磨らが楽曲を提供した。権利関係は、渡辺音楽出版株式会社やオールスタッフ音楽出版社(3)などによって管理されていた。
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*本稿は、二〇一六年度サントリー文化財団「知」の試み研究会、ならびにJSPS科研費26870168の研究成果の一部である。本稿で使用した図版はすべて筆者所蔵。
[注]
(1)ジャニー喜多川の来日の経緯は詳しく知られていない。中谷良によれば、ハイスクール在学中に兵役志願し朝鮮戦争に従軍したとされているが(中谷一九八九:六一)、和泉ヒロシによれば、アメリカでラジオや演劇関係の仕事に携わったのちに来日、日本で韓国語を学習して板門店に渡り、米軍の命令で一年二カ月のあいだ朝鮮戦争の戦災孤児に英語を教え、そのあとに再来日したとされている(和泉一九七六:三七)。和泉ヒロシは小菅宏のペンネームで、彼は一九六八年からジャニー喜多川と親しく交際し、ジャニー喜多川本人から情報提供を受けて「ジャニーズ」関連本を著している。本節での記述は、この二著のほか、立花(一九九三)、秋尾(二〇〇九)、当時のコンサート・パンフレットや雑誌記事を総合的に検討し再構成したものである。
(2)ミュージカルの上演はジャニー喜多川の悲願であり、ジャニーズ事務所の特別な活動であり続けた。ジャニー喜多川が企画・演出している堂本光一の「SHOCK」や滝沢秀明の「滝沢歌舞伎」のような演目は毎年公演され、生田斗真や風間俊介のような歌手活動をしない人物もミュージカルには出演している。
(3) オールスタッフ音楽出版社は、いずみたくによって創設され、原盤制作と著作権管理によって新たな権利ビジネスを展開していった。その最初の原盤レコードとなったのが一九六七年発売の〈ジャニーズ〉の《太陽のあいつ》であり、三十万枚を売り上げたという(いずみ一九七〇:二三〇‐二三一)。
周東美材(Yoshiki Shuto)
1980年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了、博士(社会情報学)。首都大学東京、東京音楽大学等の講師。専攻は文化社会学。著書に『童謡の近代――メディアの変容と子ども文化』(岩波書店、日本童謡賞・特別賞、日本児童文学会奨励賞)、『カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』(共著、東京電機大学出版局、日本感性工学会出版賞)、『文化社会学の条件――二〇世紀日本における知識人と大衆』(共著、日本図書センター)など。
『アステイオン85』
特集「科学論の挑戦」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス