肉体の苦痛こそ究極のアートだ
フラナガンにとって観客の反応は二の次だった。彼はおぞましい行為を通じて、苦痛がもたらす歓喜を探り、愛と生、そして肉体の極限に迫ろうとした。
自傷行為は意識を覚醒させる神秘体験ともなると、批評家のシンシア・カーは言う。「それを見てカタルシスを感じる人もいれば、気分が悪くなる人もいるが、深く感動する人もいる」
ただし、パブレンスキーの場合は、「メディアの注目を引き、ロシアの政治的現状を訴えたいという明白な意図があった」と、南カリフォルニア大学演劇大学院のメイリン・チェン准教授は指摘する。ネットにアップされた衝撃映像があっという間に世界中の人々に共有される今、こうしたパフォーマンスは大きな反響を巻き起こす。
パフォーマンスアートの草創期は70年代だ。オブジェの制作に飽き足らなくなったアーティストたちがこの時期、自身の肉体に目を向けだした。彼らは体制に揺さぶりをかけ、気取ったブルジョアにショックを与えるために過激な行為に走った。そのルーツは19世紀末フランス文学の退廃的風潮(死とセックスなどタブーとされるテーマを好んで取り上げる)にまでさかのぼる。
71年には早くも人々を騒然とさせるパフォーマンスが決行された。クリス・バーデンが観客の見守るなか、助手にライフルで自分の左腕を撃たせたのだ。バーデンはその3年後にはフォルクスワーゲンの車上にあおむけになり、手をくぎでルーフに打ち付けた。ほかにもガラスの破片が散らばる床を半裸ではう、切れた電線を胸に押し付ける、溺れるといった行為も行った。
70〜80年代にも、マリーナ・アブラモビッチ、ジーナ・ペインらが次々に自傷行為や極限的なパフォーマンスに挑んだ。94年にはロン・エイシーが腕に皮下注射針、頭に鍼灸治療用の針を刺し、血の付いたペーパータオルを観客の頭上に渡したひもにつるすパフォーマンスを行った(エイシーがHIV感染者であるために、この行為は物議を醸した)。