タリバンの選挙妨害、北部でも
予定外の戦闘に巻き込まれたドイツ軍
ドイツ軍が北部のクンドゥズとマザリシャリフに配置されたのは7年前のこと。当初は経済復興の支援が主な任務になると考えられていた。事実、ドイツ政府は戦闘任務への従事をはっきりと禁止していた。
ところが06年以降、武装勢力による襲撃が増えるとドイツ軍はその攻撃にさらされることになる。02年の駐留開始以降の死者数は35人に達し、今年4月には1日に3回攻撃を受けた日もあった(ドイツ政府はタリバンの攻撃増加は9月27日のドイツ連邦議会選挙に影響を与える狙いもあるとみ見ている)。
現実に対応するため、ドイツは交戦規定を変更。それまでは相手から攻撃を受けないかぎり発砲などの攻撃手段を取ることはできなかったが、現在は危険を予見して先制攻撃ができるようになった。
こうした変更を受けてドイツ軍は今年7月、アフガニスタン軍と合同で2000人規模の軍事掃討作戦を実施した(ドイツ軍にとっては第二次大戦以来最大の軍事作戦だ)。だが敵はうまく逃げおおせたようだ。「われわれは今も(掃討)作戦前と同じ辺りをうろついているよ」と、タリバン勢力の司令官バシルはせせら笑った。
パシュトゥン人の財産没収があだに
タリバンがクンドゥズ州など北部に攻め込んできたのは全土に拠点を広げたことを誇示するための計算された戦略だと、西側関係者は言う(他の地域はタリバンと同じパシュトゥン人が多数派を占めるが、北部はハザラ人とタジク人が大多数を占める)。
かつてクンドゥズはタリバンの牙城だった。現在消息不明のタリバンの最高指導者ムハマド・オマル師の姿が最後に確認されたのもここだったし、アメリカの激しい爆撃を受け、北部同盟のタジク人とウズベク人の部隊に包囲された2万人のタリバン兵と外国兵が投降したのもこの地域だった。
その地にタリバンが戻ってきた。バシルによれば、部下のほとんどは地元出身者で「外人部隊」は混じっておらず、バシル自身もクンドゥズ州内で指揮にあたっている。「ここは(タリバン幹部が潜伏しているパキスタンの)ペシャワールとクエッタから数百キロも離れている」と、バシルは言う。ただ西側政府当局者は、地方のタリバン勢力はカブール周辺から来たタリバン兵や外国人兵によって補強されていると主張している。
だがタリバンが北部に拠点を構えたのは事実だ。01年のタリバン政権崩壊後に権力を握ったタジク人とウズベク人の軍閥のリーダーがパシュトゥン人の財産を没収したことも、住民にタリバンを支持する政治的大義名分を与えた。
選挙に行くなと有権者を脅す必要はないと、バシルは余裕を見せる。そんなことをしなくても、住民は腐敗まみれのカルザイとその政府が大嫌いだからだ。「腐りきったアメリカの操り人形や麻薬密売業者、それに軍閥に人々は投票しない」と、バシルは言う。「家にとどまるはずだ」
ソ連軍を苦しめた戦術が復活
復活したタリバンは全土で治安維持活動を妨害すると警告し、クンドゥズの近隣州とりわけバグランに手を伸ばそうとしている。バグランはクンドゥズのすぐ南側に位置し、カブールとウズベキスタン、タジキスタンを結ぶ幹線道路が通る要衝だ。
このルートは多国籍軍の補給路として重要性を増している。従来のパキスタンからのルートはタリバンの攻撃を受けやすく危険だからだが、ここ数週間バグラン北部で政府軍と武装勢力の衝突が増えている。
「(タリバンは)幹線道路と補給路を攻撃するという、かつてムジャヘディンがソ連軍に対して取った戦術を復活させている」と、カブール駐在の西側政府関係者は言う。爆弾の炸裂音が響く大統領選投票日は、混乱の始まりにすぎないようだ。