ケイト・ブランシェットが怪演、天才女性指揮者の「栄光と闇と狂気」
An Enigmatic Genius
威圧感さえ心地よいターの強烈な才能と個性をブランシェットが徹底した役作りで体現している ©2022 FOCUS FEATURES LLC.
<クラシック界の頂点を極め重圧に追い詰められていく、カリスマ指揮者を描いた映画『TAR/ター』。自己矛盾と邪悪な魅惑に満ちた人物に、なぜ観客が葛藤するのか>
世界的な指揮者のリディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、次の公演に向かうプライベートジェットの機内でアイマスクを着けて眠っている。手前に見えるスマートフォンの画面には、彼女の過去の軽率さを示唆する嫌みなメールが送られてきている。
続いて、ターはニューヨーカー・フェスティバルに登壇する。ライターから次々に投げかけられる質問に答えていくうちに、彼女の経歴が明らかになる。
ターは、かつてはピアニストとして高く評価され、現在はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で女性初の首席指揮者を務めている。エミー賞、グラミー賞、オスカー賞、トニー賞を受賞して、自伝を出版したばかり。難解なグスタフ・マーラーの交響曲第5番のライブ録音に向けて、準備をしている最中だ。
気難しくて、頭の回転が恐ろしく速く、本物のフェミニストだと称賛されることを嫌がるレズビアン。作曲家で指揮者の故レナード・バーンスタインに師事したが、巨匠のように「愛される」存在になりたいとは思わないようだ。
場面が替わり、ターはニューヨークのジュリアード音楽院で指揮科の上級特別クラスを指導している。複数の旋律がそれぞれ独立性を保ちながら調和する対位法のような構造は、この深遠な音楽映画の特徴だ。
ある学生が、「BIPOC(黒人、先住民、有色人種)のパンジェンダー(男性でも女性でもない性別を自認する人)として」バッハの音楽を演奏や指揮することに抵抗を感じると話し、バッハが20人の子供を儲けたと指摘した。
ターは辛辣さと穏やかさを行ったり来たりしながら学生を叱責する。そして、ピアノの前に座ってバッハの短い一節を弾き、ユーモアを交えて学生を笑顔にする。情熱的に議論しながら、学生がアイデンティティー・ポリティクスに傾倒していることを皮肉ると、相手はターを「クソ女」と呼んで教室を飛び出す。
ターは「クソ女」なのだろうか。バッハの鍵盤のパルティータ(組曲)のように、慎重に、厳格に、複雑に、美しく組み立てられたこの映画は、答えより問いを強調する。
きらびやかで卑しむべきクラシック音楽界の頂点で活躍する音楽家たち。映画の前半は、その世界を細部まで説得力たっぷりに描く。