さらば栄光のトップガン
空爆の主役を無人機に奪われ、誇り高き戦闘機乗りの文化に幕を閉じるときがやってきた
アメリカ空軍は創設以来60年余りの歴史を通じて、華麗な軍隊であることをいつも誇りにしてきた。戦闘機を操るパイロットは「トップガン」と呼ばれ、大空を支配し、(少なくとも映画の中では)白いスカーフを巻いて、女の子たちの胸をときめかせた。
今、そのすべてが変わろうとしている。空軍の使命、気風、アイデンティティーをめぐる熾烈な戦いに、トップガンたちが敗れつつある。この夏、ステルス戦闘機F22ラプター(F22)に関してワシントンでヒートアップした論争はその1つの表れだ。
一見すると、このF22論争はよくある予算上の綱引きに見えなくもない。空軍は、F22を新たに20機導入するための予算40億ドルを要求。空軍としてはその後もF22を増やしていって、20年までに既存のものと合わせて全部で387機を所有したい意向だった。
この予算要求にロバート・ゲーツ国防長官がノーを突き付けた。バラク・オバマ大統領も、F22の購入予算を1機分でも含んでいれば、議会が予算案を可決しても拒否権を行使すると表明した。これにて一巻の終わり。F22の命脈は絶たれてしまった。
F22の死は、1つの戦闘機の命運以上の意味を持っていた。F22開発計画が始まったのは冷戦の真っ盛りだった81年。アメリカが、当時の共産主義超大国のソ連とにらみ合っていた時代だ。最先端のテクノロジーを備えたF22に期待された役割は、ソ連の最新鋭の戦闘機を撃墜し、空中戦に勝って制空権を握ることだった。
しかしこのF22が初めて実戦配備されたのは、冷戦がとっくに終わった後の05年末。当初の計画から大幅に遅れ、開発費も当初予算を超過していた。
「空軍を殺すに等しい」打ち切り
現実には、F22より性能の低いF15戦闘機やF18戦闘機に太刀打ちできる空軍力を持つ国さえ世界のどこにもない。そこで、赤字をこれ以上増やしたくない議会や国防総省内の一部の文官は、F22導入の打ち切りに動いた。
これに対して、F22推進派は猛反撃を開始した。最新鋭の戦闘機を殺すのは、空軍を殺すに等しいというのがその発想だった。
F22推進派の戦いは、時代の流れに逆行していた。1947〜82年に空軍参謀総長(空軍の武官トップ)を務めた10人はすべて、爆撃機もしくは戦闘機パイロットの出身。82〜08年に空軍参謀総長を務めた9人は、全員が戦闘機パイロット出身者だった。
08年、ゲーツ国防長官が当時のジョージ・W・ブッシュ大統領に次期参謀総長として推薦したノートン・シュワーツは、まったく違うタイプの軍人だった。シュワーツは、爆撃機にも戦闘機にも搭乗した経験がない。操縦していたのはC130。図体の大きい輸送機である。
C130の役割は、基地などの拠点から兵士や武器、食料などの補給物資を前線に空輸すること。陸軍や海兵隊や特殊部隊が迅速に展開するためには空軍による空輸活動が欠かせないが、華がある任務とはとうてい言えない。空軍上層部は、戦闘機による空中戦や爆撃機による空爆に比べて、空輸を重視してこなかった。
しかし時代は変わった。イラクとアフガニスタンの戦争は、F22の開発段階で念頭に置かれていた戦いとはまるで性格が違う(実際、どちらの戦場にもF22は投入されていない)。爆撃すべき戦略拠点はほとんどなく、空中で追跡・撃墜すべき敵機もない。
それに代わる空軍の主たる役割は、アメリカや同盟国の地上部隊を支援すること。具体的には空輸を行うことと、地上部隊が敵を発見・攻撃する手助けをすることだ。