「恐竜博2019」は準備に3年! ググっても出てこない舞台裏をお見せします
1969年、イェール大学の恐竜学者であるジョン・H・オストロムが同大ピーボディ自然史博物館の学術誌『Postilla』にデイノニクスの新種記載論文を投稿した。オストロムは60~70年代の恐竜研究を牽引した偉大なる恐竜学者。真鍋さんの恩師でもあり、個人的にも非常に愛着のある展示のようにお見受けした。
「今年はオストロム先生がデイノニクスを命名して50年目に当たります。デイノニクスを研究することで、先生は恐竜が高い代謝率を持つ温血動物であったこと、敵に対してとび蹴りを繰り返すような俊敏さと持久力を持っていたことなどを推定しました。
さらにデイノニクスの手首の骨を見ると左右に動く形をしており、ちょうど鳥類が翼を広げる形とそっくり。デイノニクスのような恐竜から始祖鳥のような存在へ進化し、さらに鳥になる。この化石を起点として恐竜は現在も絶滅していないという構図が明らかになりました。『恐竜ルネッサンス』の始まりとなった記念すべき標本なのです。しかも所蔵先のピーボディ自然史博物館ですら展示室に出されていなかった非常に貴重な標本で、おそらく日本には二度とやってこないでしょう」
恐竜に関わる仕事は研究員や学芸員だけではない
標本の貸し出しは研究者同士の人間関係によるところが多い。その点、温厚でユーモアに富み、誠実な真鍋さんは世界中の研究者と強固なネットワークを構築し、標本の貸し借りを円滑に進めることで定評がある。
「化石の貸し借りに関する問題を解決するのは展示監修者である私の仕事。貴重な化石を運ぶのにはいくつものハードルがあります。まず移動の途中に壊れたりなくなったりするリスクがある。さらに標本が不在の間、研究者たちが参照することができなくなる。
これは博物館の研究セクションにとって大きなマイナスで、本展のように3カ月の貸し出しとなると一筋縄ではいきません。今回は綺麗でかっこいい展示台を作り、これを返却の際に進呈するという条件が効いたようです」
真鍋さんは恐竜に関わる人々の中でも「花形」である恐竜学者だが、目には見えないタフな交渉を一手に引き受けたり、自身でも黒子的役割を積極的に担い、その活躍ぶりは多方面にわたる。東日本大震災の直後から続けている陸前高田などにおける標本のレスキュー活動もその1つ。この活動で真鍋さんは「博物館」という場が持つ力に改めて気づかされたと言う。
「地元の博物館に通っていた小学生が大学院生になり、スタッフとなる。地元の恐竜ファンを取り込み、彼らが博物館を支える人材として育つような仕組みが重要になってくるのでしょう。国立科学博物館にもかつては『技官』というポジションがあったのですが、この部分の人材がどこの博物館でも不足しています。