ワシントン・ポストの女性社主が小型ヘリに乗り、戦場を視察した
「ヒューイ」と愛称がつけられていた、ベルUHIB型ヘリコプターに搭乗するなり、私たちは、小さなキャビンに設置された座席が横並びのベンチのようなもので、機体にドアなど付いていないのに気がついて仰天させられた。ドアがないため座席に座ると私たちの足は機外にはみ出そうになるのである。私の席はパイロットの真後ろで、皆に見られていたこともあり、このぐらいのことは日常茶飯事であるかのように振る舞って平静を装うのに苦労した。ヘリがドア無しで離陸した時には、やはり息を呑んだ。後部両側座席の兵士たちは、装弾されたマシンガンをいつでも発射できるよう身構えており、私たちはさらにぎょっとさせられた。
ヘリはおよそ二五〇〇フィート程度の低空を、水田や畑をかすめて飛行した。同行した陸軍広報担当少佐の説明では、眼下に見える家々はすべてベトコンのシンパの家だということだった。政府系の住民は塹壕と有刺鉄線で厳重に囲まれた集落の中にかたまって住んでおり、これらの集落もいくつか散見することができた。しばらく飛行を続けると、ヘリは小規模なヘリコプターパッド〔離着陸設備〕に到着した。パッドは小さく、二機のヘリでいっぱいになる程度だった。パッドのある山は、主として海兵隊員で構成された米軍事顧問の特殊部隊によって保持されていた。待っていてくれたのは、スティーヴ・キャニオンのような風貌の将校で、ソードリン中尉といった。中尉によれば、その当時でも米軍と南ベトナム軍の関係はうまくいっておらず、成果を評価できるようになるには、少なくともあと五年はかかりそうだという。
この山頂には一三名の米軍兵士と、約一〇〇名の南ベトナム軍兵士が駐留していた。施設周辺は有刺鉄線と機関銃座によって囲まれていた。案内役の将校の話では、この区域は比較的安全で、攻撃を受ける危険性はあったものの、実際には驚くべき平和が続いているとのことであった。食料となる運命を赦免された七面鳥が、ペットとして飼われていた。ベトナム兵たちは、この七面鳥の首に特殊部隊を表わす赤のスカーフを巻いてやっていたので、施設内部がすべて彼の領土であるかのように、我がもの顔でのし歩いていた。
見学が終わって、いよいよ離陸する段になって、米軍兵士の一人が次のように忠告してくれた。つまり、ここは山頂なので、離陸直後ヘリコプターは一時的にではあるが急激に下降するというのである。この忠告は非常にありがたかった。私の逆立った神経を和らげるにはあまり役立たなかったが、安全高度に達するまで、機関銃座の配置に付いた兵士たちが必死に武器にしがみついて緊急事態に備えるのを見ながら、胃の腑が落ちそうになるのを少しは理解できたからである。
ふだんの私であれば、エレベーターに乗るのさえ少し躊躇するところなのに、ヘリコプターに搭乗するたびにパニックに陥らずに済んだのは、南ベトナムの現実をもっと詳細に知りたいという好奇心の方が大きかったからだろう。いずれにしろ、私はメコン・デルタの和平工作が順調に進んでいるとされる二つの集落を、ヘリコプターで訪れた。
また私たちは、キエン・ホア県の県都であったベン・ト市まで飛行し、そこから自動車で近郊のビン・グエン村まで足を延ばした。その村では、楽観的ではあるが決然とした態度の県知事チョー大佐と会談した。チョー大佐は、村落においていかにして勢力の拡大を計っているかを語ってくれたが、一方で彼は、ベトコン勢力が二〇年間にわたってインフラストラクチャー〔基幹施設〕の整備と住民教育を進めていることなども話した。しかしながら、米軍事顧問や南ベトナム軍幹部たちは、未だに事態は有利に推移していると考えているらしかった。私の記憶する限りでは、ただ一人の米軍大佐だけが、ベトコンがあらゆる地域に出没していることに注意を喚起しながら、いかなる犠牲をはらっても侵入を阻止する決意を明らかにしていた。