【歌舞伎の歴史】あまりの人気ゆえ、弾圧された時代もあった
平成中村座のドイツ公演の様子(2008年) Fabrizio Bensch-REUTERS
<江戸時代末期には弾圧を受けた歌舞伎は、明治に入ると再び底力を見せ始めた――。日本の古典技能は、時代と共にどのように移り変わり、人々に親しまれてきたのか>
400年以上前に生まれ、今なお、人々の注目を集める日本の総合芸術、歌舞伎。とはいえ、歌舞伎役者たちの活躍を見聞きすることはあっても、歌舞伎の基本や"楽しみ方"をきちんと知っている人はどれだけいるだろう。
喜怒哀楽、美しいもの・汚いもの、そうした人間臭さの全てが詰まっていて、粋や義理人情など、あらゆるところに美学がちりばめられている。
そんな歌舞伎をあらゆる角度から味わい尽くすのに役立つ『Pen BOOKS そろそろ、歌舞伎入門。』(ペン編集部・編、CCCメディアハウス)から、歌舞伎の歴史に関する記事を2回に分けて抜粋する。
[語り手]
松井今朝子(作家)
松竹に入社し、歌舞伎の企画・制作に携わる。退社後は故・武智鉄二氏に師事し、歌舞伎の脚色・演出・評論を手がける。現在は小説家として活躍。2007年に『吉原手引草』(幻冬舎刊)で直木賞受賞。
※前編:【歌舞伎の歴史】400年前、1人の女性の念仏踊りから始まった
時代とともに変わってしまう面もあれば、普遍的な側面もある。その変幻自在さが歌舞伎の面白さだ。
「歌舞伎には定本がないんです。そこがシェイクスピア(8)とは決定的に違う点。脚本主義ではなく、演出主義。歌舞伎=演出ともいえます。そして演出を伝えるのが役者です。西洋では、芝居は戯曲が本質になるのでしょうが、日本というのは本質の国ではないのです。あくまでも周縁に価値をおく。ディテールに優秀なものを残し、外側、表面、外面に対して力を発揮する民族です。それは文化を全部外から取り入れた"周辺の国"だから。本質を問い詰めることなく、曖昧にしておく。常に外から文化を取り入れて、それがなぜなのかということを考えない。脚本よりも演出が肥大化している歌舞伎は非常に日本的といえます」
戯曲至上主義ではないから役者に合わせて演出を変えるのも珍しくない。
「有名な五代目幸四郎(9)という人は鼻がとても高かったので、横見得を切った。個人をいかに美しく見せるかという演出法です。役者が自分のいいところを見せる動作はかなり個人に委ねられている。それが型となり、その時代の様式として残っていくのです」
観客との相互作用によって変貌を遂げた歌舞伎だが、そのあまりの人気ゆえ、弾圧の憂き目を見る時代もあった。
「江戸時代末期、天保の改革(10)で歌舞伎は非常に貶められました。政治家と芸能人は人気商売ですから、為政者にとっては怖い存在。この時代の歌舞伎役者は人間扱いされないほど弾圧を受けました。シェイクスピアが王侯貴族のパトロナイズを仰いだのとは正反対で、歌舞伎は武家政権から愛でられることはなかった」
しかし明治維新で時代が変わると、歌舞伎は再びその底力を見せ始める。
「九代目團十郎(11)ら明治以降の役者が上昇志向だったのは、前の時代の反動だったのでしょう。歌舞伎というのは犯罪者のドラマ、悪党がヒーローになる物語が多いんですね。女に狂って落ちぶれたり天下を覆そうと企む大悪党が主人公になったり。社会的にあまり肯定されない人の話。悪を美しく見せるのが歌舞伎の基本なんです」
時代を反映するのが歌舞伎であるならば、現代の芝居にもまたいまの気分が反映されているのだろうか。
「ストーリー自体は変わらなくとも、微妙な空気感は役者の演技に表れていると感じます。コクーン歌舞伎(12)や六本木歌舞伎(13)はいまの世の中の空気感をよく伝えているのでは」