【歌舞伎の歴史】400年前、1人の女性の念仏踊りから始まった
東京・銀座の歌舞伎座(2016年撮影) 7maru-iStock.
<メジャーな娯楽から教養へ――。室町時代の阿国の歌舞伎踊りに起源を持つ日本の古典技能は、時代と共にどのように移り変わり、人々に親しまれてきたのか>
400年以上前に生まれ、今なお、人々の注目を集める日本の総合芸術、歌舞伎。東京・銀座の歌舞伎座が130周年を迎える2018年、歌舞伎界は例年以上に華々しい幕開けとなる。
初代松本白鸚、九代目松本幸四郎、七代目市川染五郎の親子孫同時襲名から37年が経ち、二代目松本白鸚(松本幸四郎改め)、十代目松本幸四郎(市川染五郎改め)、八代目市川染五郎(松本金太郎改め)の襲名披露興行が、1~2月に行われるのだ。
とはいえ、そもそも襲名とは? あの隈取りにはどんな意味がある? 古めかしい演目は難しそう? 歌舞伎役者たちの活躍を見聞きすることはあっても、歌舞伎の基本や"楽しみ方"をきちんと知っている人はどれだけいるだろう。
喜怒哀楽、美しいもの・汚いもの、そうした人間臭さの全てが詰まっていて、粋や義理人情など、あらゆるところに美学がちりばめられている。そんな歌舞伎をあらゆる角度から味わい尽くすのに役立つ『Pen BOOKS そろそろ、歌舞伎入門。』(ペン編集部・編、CCCメディアハウス)から、歌舞伎の歴史に関する記事を2回に分けて抜粋する。
[語り手]
松井今朝子(作家)
松竹に入社し、歌舞伎の企画・制作に携わる。退社後は故・武智鉄二氏に師事し、歌舞伎の脚色・演出・評論を手がける。現在は小説家として活躍。2007年に『吉原手引草』(幻冬舎刊)で直木賞受賞。
慶長8年(1603 年)、出雲の阿国(おくに)(1)率いる若い女優による一団が、京都の四条河原周辺で興行した踊りがその起源とされる歌舞伎。そもそも阿国が演じたのは室町時代の末期から庶民の間で流行した「風流(ふりゅう)」(2)の舞台化であった。「風流」はきらびやかな衣裳をつけて踊る享楽的な舞踊で、そこには戦乱時代から抜け出した庶民の喜びが表れていた。阿国の歌舞伎踊りは爆発的な人気を博し、その結果、女歌舞伎、遊女歌舞伎が氾濫する。すると幕府は風俗上の問題から女歌舞伎に禁令を下す。それに代わって勢力を得たのが若衆(わかしゅ)歌舞伎(3)だ。元服前の前髪をつけた美少年を中心とする一団は、舞踊以外に狂言を通俗化した猿若狂言(4)などを演じた。しかしこれもまた男色の問題から幕府により全面禁止に。そんな紆余曲折の末、再上演されることになった歌舞伎の条件はふたつ。ひとつは若衆のシンボルである前髪を剃り落としたいわゆる「野郎歌舞伎」(5)であること。ふたつ目は写実的で劇的な演目である「物真似狂言づくし」(6)を演ずること。売色的な要因を排するのが狙いだ。こうして歌舞伎は演劇的な要素を強めていくことになる。
日本独自の芸能である歌舞伎が、時代とともにどのように変わりながら人々に親しまれたのか、作家・松井今朝子さんにお話を伺った。
「歌舞伎というのは『かぶく』という言葉からきています。つまり思いっきり逸脱する者、跳ねっ返りの最たるものが歌舞伎で、最先端を行くものをどんどん吸収して成り立っていた。最初からいまのような型があったわけじゃない。いろんな時代の民意が反映され、洗い流されて現代に残ったのです」