【歌舞伎の歴史】あまりの人気ゆえ、弾圧された時代もあった
歌舞伎の演目でおなじみの「寺子屋」(14)や『忠臣蔵』(15)の一大テーマである忠義心は、江戸時代の芝居を理解する上でキーポイントになるが、これが現代人には実感しにくい。
「半世紀前は役者が戦争体験者だったから、主君のために子を犠牲にするとか、戦場に行く直前に恋人と挙式するといった題材をリアルに演じることができた。そして観る者も身にしみて感じることができた。でも現代にそれを求めるのは無理。どんなことがあろうと自分の子どもを殺すなんてありえない。しかしこのテーマを抜いたら歌舞伎は成り立たないのです。『寺子屋』はドイツで絶賛された時代があって、アメリカでもこれを元にした戯曲ができたくらい世界中でヒットした。その背景には戦勝した日露戦争で、日本人のパワーの源が"自己犠牲"にあると解釈されたようです。旧約聖書で我が子イサクを生贄にしようとしたアブラハムにも匹敵すると評されました。ギリシア悲劇の『メディア』と同様、古典劇というのはそういう究極な理不尽をテーマにしやすいんです」
運命を主題にした古典劇を歌舞伎では「時代物」と呼ぶのに対し、庶民の生活を描いたものを「世話物」と呼ぶ。
「時代物は当時の時代劇ですから、江戸の人も『昔の人もかわいそうだな』と思って見ていた。対する世話物は、江戸時代のイメージを肌で感じさせてくれる。世話とは世間話の意味です。よく『世話に時代があり、時代に世話がある』という言い方をしますが、壮大な悲劇の時代物と、笑いをとる世話物がひとつの芝居で同居しているのが歌舞伎です。異なるジャンルが渾然一体となった芝居は、世界でも類を見ないでしょう」
時代劇も世間話も一緒に取り込む柔軟さのある歌舞伎だが、古典芸能としての見どころはどこにあるのだろうか。
「古典といわれる演目の7〜8割は人形浄瑠璃からきています。浄瑠璃(16)というのは音楽的な語りだから、これによって芝居の足取り(テンポ)が決まるんです。足取りを残すと芝居は再現しやすくなる。オペラでいう楽譜のようなものですね。ただし形を残しただけなら感動は生まれないわけで、そこは役者の力量にかかっている。また古典としての側面ばかりを追求していたら、観客は学者やインテリばかりになってしまう。所詮芸能なんだからあまり目くじら立てても仕方ない。古典とエンターテインメントの振れ幅の"ええ加減さ"こそが歌舞伎なのでは」
観客も鑑賞の仕方も変化し続ける歌舞伎だが、その人気は衰えることがない。世代や文化の差も飛び越え、進化し続ける歌舞伎を、この目でしかと確かめたい。
(Text:久保寺潤子)
8:シェイクスピア
ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616年)。イギリスの劇作家・詩人。阿国がかぶき踊りを始めたとされる1603年、日本では徳川家康が江戸幕府を開き、イギリスではエリザベス女王が死去。京都でかぶき踊りが興行されたのと同じ頃、イギリスでは『ハムレット』をはじめとする四大悲劇が上演された。
9:五代目松本幸四郎
1764~1838年。文化文政期(1804~30)の立役の名優。眼光が鋭く、鼻が高いので鼻高幸四郎と呼ばれた。極悪人を演じては天下無類と言われた。
10:天保の改革
1841年(天保12年)、水野忠邦は衣食住すべてにわたり庶民の生活を徹底的に取り締まった。勤倹節約を奨励した幕府にとって、歌舞伎の興行はその最大のターゲットになる。中村座、市村座、森田座の江戸三座はこの時に猿若町(現在の台東区浅草6丁目)に集められた。
11:九代目市川團十郎
1838~1903年。江戸歌舞伎のシンボルともいえる市川家のなかでも、九代目は明治という新時代を読んで歌舞伎を近代的に改革した大俳優である。心理に基づいた洗練された演じ方などは「九代目の型」として、今日まで継承されている。
12:コクーン歌舞伎
「若者の街、渋谷に江戸の歌舞伎を」と十八代目中村勘三郎(初演時は五代目中村勘九郎)と演出家串田和美が1994年に開催。渋谷のBunkamura内の劇場、シアターコクーンで、2~3年に一度のペースで上演を重ねている。客席と舞台が一体となった芝居小屋のような雰囲気が人気。
13:六本木歌舞伎
市川海老蔵と中村獅童が企画する新作歌舞伎。成田屋の家の芸である荒事をテーマに、新しい演目をつくりたいと2人が意気投合。そこに脚本家・宮藤官九郎と映画監督・三池崇史が加わり実現したのが『地球投五郎宇宙荒事』だ。
14:「寺子屋」
『菅原伝授手習鑑』四段目の演目。この一場だけで起承転結がはっきりしているので、単独で上演されることも多い。「せまじきものは宮仕えじゃなあ」と言いながら身代わりに寺子を殺さなければならない源蔵の深い悲しみ、我が子を亡くした松王丸の苦悩が描かれる。
15:『忠臣蔵』
1704年(元禄14年)の江戸城内の刃傷から翌年の吉良邸討ち入りまでの赤穂浪士の仇討ち事件を足利時代に置き換え、場所も鎌倉に移し、登場人物の名前も変えて上演した。忠義に篤い義士の物語は日本人の心情にぴったりはまり、最も上演回数の多い人気狂言のひとつ。
16:浄瑠璃
三味線にのせて詞章(ししょう)を語るのが浄瑠璃。なかでも人形浄瑠璃を原作とする狂言で詞章を担当する「竹本」、歌舞伎舞踊などで登場する「清元」、重厚で豊かな情緒を楽しめる「常磐津」に大別される。また、人形浄瑠璃の作品を歌舞伎に移した演目を「丸本物」という。
『Pen BOOKS そろそろ、歌舞伎入門。』
ペン編集部 編
CCCメディアハウス