瞑想とランニング、共通点は「呼吸がカギを握る」こと
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<瞑想は心のトレーニング、ランニングは体のトレーニング。同じではないが、共通点はいくつもある。「サブスリー」ランナーでもあるチベット仏教の高僧が語る、2つの活動の知られざる関係性>
グーグルやインテル、フェイスブックといった最先端企業も採用していることで知られる「マインドフルネス」という瞑想法が世界的なムーブメントになっている。瞑想は今や宗教を超え、日常的活動として広く浸透した。
反面、日本で瞑想を日々の習慣にしているという人は、さほど多くないのではないだろうか。坐禅との違いも分かりにくい。瞑想を、スピリチュアルなものや、何か特別なものだと思っている人も多いかもしれない。
だが、著名なチベット仏教の高僧によれば、ストレスに満ちた現代社会を生き抜き、さらに自らを成長させるために、瞑想は大切な「心のトレーニング」だという。そして、瞑想と対を成す「体のトレーニング」がランニングなのだ、と高僧は語る。
『限界を乗り超える最強の心身――チベット高僧が教える瞑想とランニング』(サキョン・ミパム著、松丸さとみ訳、CCCメディアハウス)は、瞑想とランニングという一見かけ離れた2つの活動が持つ知られざる関係性を、高僧でありランナーである著者が解き明かした一冊だ。
多くの人は体の健康に気を遣うが、その体を動かすのは心
著者のサキョン・ミパム氏は、チベットで特に崇敬されている歴史上の名僧の生まれ変わりとされている人物で、世界的な規模を誇る瞑想センターの指導者でもある。彼の父が設立したこのセンターが、欧米に仏教の概念と瞑想を広く普及させたと言われている。
また同時に、ミパム氏はこれまでに9つのフルマラソンを完走したランナーである。自己ベストタイムは3時間5分と「サブスリー」(3時間を切ること)まであと一歩のところまで迫っており、市民ランナーとしてはトップレベルだ。
とはいえ、速く走りたければ瞑想をすればいいというわけではないし、ランニングが瞑想の代わりになるわけでもない。ランナーであれば、長時間走っているうちに頭が真っ白になって、まるで瞑想をしているようだと感じる経験があるかもしれない。しかしそれは瞑想ではない。
著者も指摘しているように、「ランニングはランニングであり、瞑想は瞑想」だ。
多くの人は体の健康に気を遣うが、その体を動かしているのは「ボス」である心だ、と著者は言う。ランニングによって体を鍛えられるのと同様に、瞑想によって心を鍛えることができる。ランニングと瞑想の両方を習慣とすることで、心と体をバランスよく鍛えるべきである、というのが著者の主張だ。