「他人にイラっ」とした時こそチャンス...その感情を掘り下げると、「自分の才能」が見えてくる
──「他人にイラッとすること」に才能が隠れているなんて、思いもしませんでした。
アンガーマネジメントという言葉があるとおり、イライラは悪いものだと思われがちです。でも「イラッ」を抑えてしまうのはあまりにももったいないこと。その「イラッ」を仕事にぶつければいいだけなんです。「他人にイラッとすること=才能」だと自覚すると、人生がうまくいきますよ。
それに、「他人にイラッとすることは?」と聞かれると、たくさん浮かんできませんか? ポジティブな感情よりネガティブな感情のほうが印象に残りやすいため、いろいろな「イラッ」が思い浮かぶはずです。
──八木さんがこれまで聞いた、ユニークな「他人にイラッとすること」の例を教えていただけますか。
「道端に犬のフンが落ちていることにイラッとする」という人がいました。「ここからどうやって才能を見つければいいの?」と思いますよね(笑)。
でもこの「イラッ」を深掘りしていくと、みんながルールを守っている状況が、その人にとっての当たり前の基準であるという気づきが得られました。この人には、ルールを設定してみんなに守ってもらったり、ルールを広めていったりする仕事が向いていそうです。
「みんなが軽率に行動しているように見える。どうしてもっとリスクに敏感にならないのか、イラッとする」と言った人もいます。この人はリスクを見つける才能を生かして、絶対に炎上しない謝罪会見のコンサルタントになりました。この仕事に就いたとたん、高く評価され始めたそうですよ。
「国語・算数・理科・社会・自己理解」の世界をつくりたい
──八木さんにとっての最終目標は「国語・算数・ 理科・社会・自己理解」といわれる世界をつくることだそうですね。
自分の才能が見つからない、生かせないことの根本原因は教育にあると思っています。
僕が小学5年生のころ、クラスに引っ込み思案なCさんがいました。Cさんは国語の授業で当てられ、教科書を読むことになったのですが、なかなか大きな声が出ません。
すると先生がみんなの前で「もっと大きな声を出せるでしょ」と叱りました。Cさんは一生懸命やっていますが、やはり大きな声は出せません。そんなCさんを、先生は「どうしてできないの? 努力すればできるよ」と叱責し続けました。
僕はその光景を見て、怒りとともに、「努力すればできる」という言葉に対する違和感と怒りを覚えました。そしてそのモヤモヤ感は今でも残っています。
先生は「できないことや苦手なことを克服するのがいい人生だ」という思いから、Cさんを叱ったのでしょう。それは、才能や自己理解について深く知る機会がなかったからだと思います。
日本では、たいていの人は足し算・引き算・かけ算・わり算ができますよね。これってすごいことではないでしょうか。誰かが教育の仕組みをつくったから、算数がみんなの共通言語となっているのです。
僕の願いは、自己理解も算数と同じように、みんなが当たり前にできる世の中にしたいということ。これが実現すれば、世界はもっともっと良くなるだろうと思います。