2、3冊の同時並行読みを15分──「5つの読書術」を半年続けることで表れる変化とは?
(2)漢字だけ追う──日本語という利器を生かす
古代、無文字社会だった日本は、中国から漢字を輸入した。はじめは万葉仮名として、漢字を日本語の音に該当させていた。阿(あ)、伊(い)、宇(う)、衣(え)、於(お)、青丹吉(あを・に・よし)、咲花乃(さく・はな・の)、などと書いていた。
それでは時間がかかりすぎるので、簡略にするためにひらがな、カタカナを生んだ。漢字を崩した草書体からひらがなを、偏(へん)や旁(つくり)だけに省略したカタカナを作り、助詞などにあてていった。漢字仮名まじり文である。これは、世界でも類例のない表記法で、日本文化最大の発明だ。
だから、日本語を読み、書けるというのは、それだけで宝くじに当たったような僥倖なのだ。名詞でも動詞でも形容詞でも、いわば大事な「概念」は漢字にしてある。
そして、日本語の「情緒」は、送り仮名にある。「てにをは」が日本語の骨法だ。わたしたちの祖先は、じつに便利かつ美しいシステムを開発してくれたのだ。
これを利用しない手はない。日本語の本質は送り仮名にあるといってもいいが、しかし、これは「情緒」なのだから、情報だけを得ようとする速読ならば、読み飛ばしていいだろう。例をあげる。
象は鼻が長い。
象の鼻は長い。
象が鼻は長い。
この文章は、いずれも違う情緒、異なった「感じ」がある。その違いを味わうことが、日本語を読むことだ。
しかし、情報だけ分かればいい速読ならば、象→鼻→長だけ目に入れば十分だろう。漢字だけに目を走らせる。それだけで文意がつかめる。
これはやや極端な例だが(この文章を題名にした日本語論の名著がある。三上章『象は鼻が長い』)、もっと長くて、複雑な文章になるほど、この手法は効果がある。