最新記事

「革新と効率は両立せず」──世界最高峰のレストラン「ノーマ」の「持続不可能宣言」と前向きな閉店

Why Noma Is Closing

2023年2月2日(木)11時51分
ボーン・タン(経営コンサルタント)
ノーマ

「絶えざる革新」で頂点に上り詰めたノーマ JORG CARSTENSENーPICTURE ALLIANCE/GETTY IMAGES

<メニュー改変とスタッフ育成、味の維持など「厨房はストレスいっぱい」。技術革新を軸としたビジネスモデルは、レストラン業に関しては至難の業>

デンマークの首都コペンハーゲンにある、超絶技巧を駆使した高級レストランの最高峰とされるノーマが来年いっぱいで店を閉じるという。オーナーシェフのルネ・レセッピが1月9日に発表したところによれば、理由は「持続可能性」の限界とされる。

「北欧の料理」を意味する店名どおり、2003年開業のノーマは地元の食材と斬新な調理法や演出にこだわり、独自の研究開発チームの継続的な努力によって次々と新メニューを開発してきた。何度も「世界一のレストラン」に選ばれ、今もミシュランの3つ星を維持している。

だが、もう限界だという。なぜか。米紙ニューヨーク・タイムズに言わせれば、数ある高級料理店の中でも「ノーマに代表されるスタイル、つまり斬新さと革新性にこだわる一方、現場の労働は過酷で、あきれるほど値段が高い店は、持続可能性の壁にぶつかっている」のかもしれない。

ここで言う「持続可能性」には、収益力などの経済的な要素だけでなく、地球環境への負荷や、働く人の心身の健康維持も含まれる。つまり赤字を出さず、環境も従業員も傷つけずに営業を継続できてこそ「持続可能なビジネスモデル」と言える。

230207p62_NMA_02.jpg

オーナーシェフのレセッピ YUYA SHINOーREUTERS

革新と効率は両立せず

筆者は2020年の自著『不確実性のマインドセット』で、ノーマのようにひたすら革新性を追求するレストランの持続可能性に疑問を呈した。

常に新しさを追求するのであれば毎日が未知との遭遇になり、当然のことながら品質の安定と効率を維持することは難しい。飲食業に限らず、どの業種でもそうだと思う。

人がレストランへ足を運ぶのは「プロが料理を作ってくれ、もてなしてくれる」という格別な体験のためだ。そんな体験をコンスタントに提供し、かつビジネスとして成功させるには、工場並みのシステムが必要になる。

しかるべき味と品質、サービスを維持しなければ、当然のことながら客足が遠のく。その一方で効率も追求しなければならない。素材の無駄も人手の無駄も減らしたい。なにしろレストラン業の利益率は低いからだ。

加えて、高級店の場合は調理にやたらと手間がかかる。一皿ごとに複数の料理が盛られ、それぞれに多くの素材と技が用いられる。その作り方を習得し、同じ見栄え、同じ味を再現できるようになるまでには時間もかかるし、臨機応変の工夫も必要だろう。

しかも調理には「暗黙知」、つまり言葉では説明し難いコツや極意がある。これを知らないと、例えば完璧なフレンチオムレツ(中はトロトロだけれど十分に火が通っていて、それでいて外側は焦げていない)は作れない。

こうしたコツや極意は、反復練習の積み重ねによってのみ得られる。そこがプロの味と、レシピをなぞっただけの料理の違いだ。

そんな手の込んだ料理を効率よく、しかも再現性を保って提供するために、高級店の調理場スタッフは同じ料理を何度も何度も、繰り返し練習している。コツをつかみ、常に一定の品質に仕上げるためだが、大変な作業だ。

厨房はストレスいっぱい

一方で、効率的で味やサービスに一貫性のある高級レストランは、経営的に優れているだけでなく、働きやすい場所でもある。そこで働く人々は何をすべきか、どうすれば早く、うまくできるかを知っているからだ。

つまり、絶えざる革新と安定性・効率性は相いれない。新たなメニューが考案されるたびに、それを安定的かつ効率的に再現する技と秘訣を(時間をかけて)習得しなければならないからだ。

230207p62_NMA_03.jpg

超絶技巧の継続的な習得がスタッフの重荷に SARAH COGHILLーTHE WASHINGTON POST/GETTY IMAGES

多くの場合、メニューの改変に合わせてキッチンの役割分担や仕入れのネットワークも変える必要が生じる。革新はスタッフの作業工程や連携、仕入れにも不確実性をもたらす。そのため無駄や失敗、不安定性やストレスが生じることは避けられない。

なにしろ高級レストランに来る客は完璧を期待している。新たなメニューを客に安定して提供できる水準にまで高めるには、さらに多くの時間と労力、資金と資材をつぎ込まねばなるまい。ただでさえ利益率が低いのに、研究開発チームの設備や人員確保にも特別な費用がかかる。

一般論として、料理の世界で革新的な技を守るのは秘密の壁だけだ。しかも、その実践には微妙すぎて言葉にできないコツの習得が求められる。それでいて革新性の賞味期限は概して短い。対して一般の業種なら、革新的技術は特許で守られ、その実践に必要なことは言葉で説明でき、その製品寿命もずっと長い。

だから一般の業種では、技術革新を軸としたビジネスモデルも成立しやすい。製薬や、家電産業もそうだ。

ノーマは今後、常設の店舗を持たず、料理の技術革新とその商品化に専念する予定だという。それならば料理の世界にも成功例がある。メディアを通じた情報発信に特化した「ザ・クッキング・ラボ」や、食品開発のコンサルティング会社「チュー・イノベーション」などだ。

しかし常設の高級レストランを構えるのであれば、常に安定した味と品質の料理を効率的に提供する必要があり、そうでなければ続かない。だが不幸にして、絶えざる革新にこだわれば確実に安定性と効率は損なわれる。レストラン業に関する限り、絶えざる革新と持続可能な経営の両立は至難の業と言える。

The Conversation

Vaughn Tan, Assistant professor of strategy and entrepreneurship, UCL

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:ドローン大量投入に活路、ロシアの攻勢に耐

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダックほぼ変わらず、トラ

ワールド

トランプ氏、ニューズ・コープやWSJ記者らを提訴 

ビジネス

IMF、世界経済見通し下振れリスク優勢 貿易摩擦が
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは「ゆったり系」がトレンドに
  • 3
    「想像を絶する」現場から救出された164匹のシュナウザーたち
  • 4
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が…
  • 5
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 6
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 7
    「二次制裁」措置により「ロシアと取引継続なら大打…
  • 8
    「どの面下げて...?」ディズニーランドで遊ぶバンス…
  • 9
    「異常な出生率...」先進国なのになぜ? イスラエル…
  • 10
    アフリカ出身のフランス人歌手「アヤ・ナカムラ」が…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 4
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    アメリカで「地熱発電革命」が起きている...来年夏に…
  • 8
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 9
    ネグレクトされ再び施設へ戻された14歳のチワワ、最…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 4
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測…
  • 5
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 6
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 9
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中