コラム

新型コロナで窮地の習近平を救った「怪我の功名」

2020年05月22日(金)16時59分

国民の反発の的となったはずなのに

今年3月初旬までの中国の国内状況からすれば、5月になってからの習近平礼賛は不気味ほど異様で、まさに隔世の感がある。中国が新型肺炎の感染拡大で大災難に陥っていた1月下旬から3月初旬までの間、習に対する国内の反感と懐疑はかつてないほどに高まり、最高指導者の彼はむしろ世論の厳しい批判にさらされていた。その時の習の言動は国内の反感と批判を買うものばかりのものだった。

例えば、新型肺炎が去年の12月から武漢市内ですでに感染拡大していたのに、習近平が国家指導者としてそれを公式に認めて対策を指示したのは1月20日だったこと▼武漢封鎖が実施された23日、習近平が北京で和気藹々とした春節互礼会を主宰したこと▼25日に中央の「疫病対策指導小組(対策本部)」が設立されたとき、習が自らトップに就任せずにして責任を首相の李克強に押し付けたこと▼李が27日に武漢へ出向いて現場を激励したのに対し、習がやっと武漢に現れたのは状況が良くなった3月10日であること......などが挙げられる。

国家的危機に際して、多くの国民が見たのは決して冒頭で紹介したような「英雄的な指導者像」ではない。むしろその正反対の愚昧、無責任、卑怯といった言葉で表現される習近平像である。その時点では、彼が長年演じてきた「責任感の強い大指導者」の虚像は崩壊しかけていた。

その時の習近平の不人気、あるいは国民の習に対する反感の強さを示す2つの出来事がある。

1つは3月6日、新任の武漢市共産党委書記の王忠林が新型肺炎への対応会議で「市民を教育し、習近平総書記や党の恩に感謝させなければならない」と発言した一件である。

この発言は次の日の朝から、地元の長江日報の公式サイトを始め、国内多くの二ユースサイトによって大々的に報じられたが、これに対するネット上の反発は激しかった。「武漢市民が苦しんでいる最中なのに、『総書記の恩に感謝』とは何事か」という憤りの声が溢れていた。

そしてその日の午後、国内のあらゆるニュースサイトでからの発言がいっせいに消された。国民の反発に驚いた当局が、発言取り消しの羽目に陥ったわけである。

そして2月末、今度は共産党中央宣伝部の指揮下で、中国中央電視台(CCTV)などが近日出版予定の1冊の本の宣伝を始めた。書名は『大国戦疫(疫病と戦う大国)』。本の内容の一部は新型肺炎への対応における習近平の「戦略的先見性」や「卓越した指導力」を称える内容であるという。

しかし、それに対してネット上でやはり猛烈な批判が巻き起こった。「この惨状の中で何が『戦略的先見性』なのか、何が『卓越した指導力』なのか」といった反発の声がネット上で飛び交った。

そして、3月1日になるとこの本の宣伝はぴったりと止まってしまい、本の発売も急きょ中止になった。今でも、既に印刷済みのはずの本書の出版は宙に浮いたままである。

いずれも、政権側が民衆の反発を恐れてタイミングの悪い習近平礼賛を引っ込めた、という事件だ。このことは同時に、国民の習近平に対する反感と反発の大きさを示していた。

そして、2月20日に本コラムの拙稿「自己弁護に追い込まれた独裁者の落ち目」が指摘したように、当時の習近平はさまざまな批判にさらされ、必死になって自分の不手際や失敗を弁護しなければならず、大変な政治的窮地に立たされていたのである。

【参考記事】自己弁護に追い込まれた独裁者の落ち目

プロフィール

石平

(せき・へい)
評論家。1962年、中国・四川省生まれ。北京大学哲学科卒。88年に留学のため来日後、天安門事件が発生。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。07年末に日本国籍取得。『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞受賞。主に中国政治・経済や日本外交について論じている。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:ドローン大量投入に活路、ロシアの攻勢に耐

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダックほぼ変わらず、トラ

ワールド

トランプ氏、ニューズ・コープやWSJ記者らを提訴 

ビジネス

IMF、世界経済見通し下振れリスク優勢 貿易摩擦が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは「ゆったり系」がトレンドに
  • 3
    「想像を絶する」現場から救出された164匹のシュナウザーたち
  • 4
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
  • 5
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が…
  • 6
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 7
    「二次制裁」措置により「ロシアと取引継続なら大打…
  • 8
    「どの面下げて...?」ディズニーランドで遊ぶバンス…
  • 9
    「異常な出生率...」先進国なのになぜ? イスラエル…
  • 10
    アフリカ出身のフランス人歌手「アヤ・ナカムラ」が…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 4
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    アメリカで「地熱発電革命」が起きている...来年夏に…
  • 8
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 9
    ネグレクトされ再び施設へ戻された14歳のチワワ、最…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 4
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測…
  • 5
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 6
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 9
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story